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2015年03月20日10:38

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関西のテレビって、3.20.015

19日、ハイヒールのはてな?は、創業者ストーリー。NHKの連続テレビ小説、テレビ小説って何?と改めて思うが、連ドラではなく、連続小説だったとは、マッサン、ニッカウイスキーの創業者、竹鶴政孝とその妻の物語。創業者にはドラマがある。番組は、そんな創業者の物語を社史から紐解く創業者物語。
 日本にトマトを根付かせた男、その社史はトマトの専門書でもあると言う。蟹江一太郎は軍隊に入隊、地方の農家出身者だった蟹江は、軍隊で西洋式の生活様式を学ぶ。除隊する時に、上官からこれからどうするのか聞かれた蟹江は、農家を継ぎます、と答える。その時に、上官から、西洋野菜を育ててはどうか、と言う助言を受ける。文明開化後、西洋化に邁進する日本で、西洋野菜は人気となる。特に洋食を出すレストランでは西洋野菜は必需品のため重宝された。だが、トマトだけは、売れ残る。当時のトマトは、トマト独特の臭みが強く、日本人の口には合わなかったのだ。困った蟹江は、農業試験場にアドバイスを求めにいく。そこで、トマトは加工にも使われる事を知る。トマトを加工して、日本人の口に合う味に変えれば売れるのではないかと考えた蟹江は、試行錯誤の末、トマトソースを完成させる。会社を起こし、西洋野菜栽培のアドバイスをしてくれた上官の五芒星から六芒星を連想してそれを会社のマークとする事に決定。その六芒星を見た社員が、籠の目のようですね、と言う。それを聞いた蟹江は、籠の目、かごのめ、カゴメを連想、カゴメの誕生だった。カゴメはトマトへの思い入れが非常に強い会社で、自社でトマトを栽培している。創業者が農家だった事も大きく影響しているのだろう。トマトは、非常に旨味が強く、料理の味付けとしても広く利用されている。
 アメリカでのキャラメルとの出会い。一時期生キャラメルが大評判となったのだが、今でも販売されているようだ。生キャラメルの切れ端を訳あり商品として安く通販しているのを見つけた。500グラムで2980円。北海道の花畑牧場のものだ。一時期の騒動は落ち着いて、生キャラメルの人気も定着したようだ。実は、このキャラメル、美味しいのだが、湿度が高い日本の気候には、もともと合わなかった。そこで、人粒ずつワックスでコーティングした紙で包んで販売。これが大人気となる。森永ミルクキャラメルの誕生だ。大変美味しいお菓子でもある。このキャラメルは、森永の創業者である太一郎がアメリカへ出稼ぎに行った時に出会ったものだった。当時は、まだ有色人種への人種差別も強く、大変ご苦労されたようだ。アメリカで12年間西洋菓子のノウハウを学び、日本に帰国、夫婦で手作りでお菓子を作って販売し始める。当時人気だったのはマシュマロだったのだとか。アメリカではマシュマロは天使のお菓子と言われ、そこから、森永のエンジェルマークが誕生した。
 中村屋のインドカリー。戦前、インドの独立運動が勃発していた頃、独立運動家である、ラース ビハーリ ボースは、インドの宗主国であるイギリスから指名手配されていた。インドでは住めなくなり日本に亡命してきていたのだが、日本とイギリスの関係から(当時は、まだ日英同盟が存在した)日本でも追われる身となる。そんなボースをかくまっていたのが、中村屋だった。同じくインド独立運動家として、スバス チャンドラ ボースが有名だが別人で、中村屋にかくまわれていたボースは、中村屋のボースと言われる。実際、長女と結婚し中村屋に婿入りしている。中村屋は、新宿で喫茶部を立ち上げ、食事を提供し始める。その店で出されていたのが、ボースが教えたインドカリーだった。それまでの日本のカレーは、イギリス式のカレーで、中村屋のボースが日本に伝えたのは、本格的なインドカリーだった。長女と恋仲となり結婚もした事から、中村屋のインドカリーには、恋と革命の味と品書きされている。やがて日本とイギリスとが対立関係となり、日本は、太平洋戦争に突入。そこで、インド独立運動家達は、日本政府と和解、協力関係が成立する。日本軍がインドとの関係を重視したのは、日本にいるインド独立運動家との関係があったからだとも言われている。インド独立軍は、日本軍と共にイギリスと戦い、戦後インドは独立を獲得する。だが、中村屋のボースは、インドの独立を知る事なくこの世を去っている。日本にカレーが定着したのも、インド独立運動家達が日本にインド式のカレーを伝えたからだとも言われている。






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