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2014年09月13日16:08

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語られない三島由紀夫とエルンスト・ユンガー――『フロイト講義 〈死の欲動〉を読む』雑感

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今年は第一次世界大戦勃発からちょうど100周年。史上初めて機械化された総力戦が現実のものとなった第一次大戦という未曾有の暴力的体験の中から、フロイトは彼の最も問題的な仮説「死の欲動」を導き出した。フロイトが「死の欲動」の仮説を提出した『快原理の彼岸』を、現代の分子生物学の知見(アポトーシス/アポビオーシス)を踏まえ大胆に読み直そうと試みた小林敏明の『フロイト講義 〈死の欲動〉を読む』(せりか書房)を繙くのに、STAP細胞騒動もあった今年はまさに相応しい年かもしれない。

プログラム細胞死のメカニズムを「死の欲動」仮説と結びつけてスペキュレート(思弁)する本論に入る前の、フロイトの精神分析が成立する前史にあたるシューベルトやカールス、リッターといった「ロマンティク医師」たちが怪しく活躍した19世紀中葉における力動精神医学の流行に関する記述も、エレンベルガーの名著『無意識の発見』(弘文堂)をコンパクトに語り直したような趣があり、精神分析という分野のロマン主義的出自を彷彿と伝えてくれる。

他にも、「trieb」の訳語に「欲動」という言葉を充てるようになったのは、ポストモダン思想の流行した後の、ここ20年ほどのことに過ぎないという記述も、さり気ないながら極めて重要な指摘だと思う。フロイトの最も重要な概念の一つである「trieb」を的確に翻訳する日本語は未だ模索の状態にあるといってもいいのだ。

「trieb」本来の「駆り立てる力」という語意から、僕はハイデガーの「Gestell(急き立て)」も連想してしまう。人間を「駆り立て/急き立て」ているものとは何か。そもそもフロイトは「死の欲動」を「無機物への回帰」と説明するが、これはハイデガーのもう一つのキー概念である「ハイムケール」をも想起させずにはいない。フロイトとハイデガーはともに「語り得ぬもの」を語ろうとしたことによってウィトゲンシュタインから批判されたが、二人は確かに異なる道から同じ目的地を目指していたのかもしれない。そして、二人の目指していた場所、そこには濃厚に死の影が立ち込めている。日本でフロイトとハイデガーをよく読んでいた作家に三島由紀夫がいるが、三島の辿り着いた場所こそ、フロイトとハイデガーが異なる道を辿りながら目指していた、いつか二人が出会うべき場所だったのかもしれない。あるいはこうも言えるだろうか――三島においてフロイトとハイデガーは出会っている、と。

実際、『フロイト講義 〈死の欲動〉を読む』には、乃木大将の自決や、三島も有名な「最後の言葉」で引用しているバタイユの『エロスの涙』で紹介されている支那の凌遅刑の写真への言及があり、もう少しで三島の名前が出てきてもおかしくないのに、ついに小林敏明は三島の名を口にしない。強烈に意識しているからこそあえて口にしない緊張感のようなものを僕などは感じてしまう。もっとも、死やエロスの問題を語って三島に言及するのは、あまりにも陳腐なパターンではあるので、あえて三島に関する話題を小林敏明は避けているのかもしれない。

サド・マゾ的衝動を強引に9・11と結びつけて論じる最終章は、ちょっと亀山郁夫の『「悪霊」――神になりたかった男』みたいな展開だけど、亀山郁夫のスタヴローギン論もバックボーンにはフロイトのサド・マゾ論があるから、似たような話になるのは仕方ないか。

スタヴローギンという人物は「近代的自我」の究極形態ということもできるだろう。彼はまさに一神教の神の如き視線で世界を睥睨している人物である。彼にとって、世界の一切は一方的な認識の「対象(object)」でしかない。そして現代人は多かれ少なかれスタヴローギンと同じような視線で世界を眺めているのではないか――というのが亀山郁夫の議論だが、それを彼は世界中の人々が9・11の映像を興奮しながら観た姿を例にして論じている。小林敏明もほぼ亀山郁夫と同じ主旨で9・11に言及している。

いままで僕が読んだことのある小林敏明の本は、『〈主体〉のゆくえ 近代日本思想史への一視角』、『廣松渉――近代の超克』、『精神病理からみる現代思想』、『風景の無意識――C・D・フリードリッヒ論』、そして『フロイト講義<死の欲動>を読む』になるけど、メディア(言葉)によって構成されるスタヴローギン的な「近代的自我(主体性概念)」を如何に異化ないし超克するか、というのが小林敏明の著述活動の一貫したモチーフ――いわば通奏低音――になっている。その解答はまだ明確には提出されていないが、「言葉」への捉われからの解放、という方向に小林敏明は答えを見出そうとしているようだ。

最後に、『フロイト講義<死の欲動>を読む』の「あとがき」では、小林敏明の『快原理の彼岸』との出会いと付き合いが振り返られているのだけど、その中で詩人の菅谷規矩雄との関わりが語られている。

「菅谷はあの学生運動が吹き荒れた時期の六〇年代末から七〇年代初めにかけて、いわゆる「造反教官」として大学に徹底抗戦を試み、それが終焉したあとの八〇年代は確信犯ともいえる飲酒を貫きながら、その死までの一〇年間ひたすら自分の身をもって「死」と「詩」の問題をつきつめようとした人である。亡くなったのは一九八九年、東西冷戦構造が崩壊し、昭和天皇が崩御した年である。死因はおそらく彼自身が「期待」したとおり肝硬変であった」(小林敏明『フロイト講義<死の欲動>を読む』あとがき)

「彼の遺稿集『死をめぐるトリロジイ』の巻末には編者による年譜が載っていて、一九六六年の欄にこう記されている。

十月 国立名古屋大学に常勤講師として転任。学生運動や政治運動に関係し、バリケードやハンストを実行する。また緑区鳴海の公団住宅に住むが、ほぼ毎日のように学生が訪れ居そうろうをしていた。

正確には、この記述内容は一九六八年から六九年にかけてのことだが、この「毎日のように訪れ居そうろう」をしていた「学生」のひとりが私であったことを言っておけば、それ以上の説明は必要ないだろう」(同上)

学生時代に親炙した菅谷規矩雄へのオマージュという意味も込めて小林敏明は『フロイト講義<死の欲動>を読む』を書いたということだが、菅谷規矩雄というとエルンスト・ユンガーの『言葉の秘密』の翻訳者でもある。そしてユンガーもフロイトと同じように第一次大戦という未曾有の体験の中から「近代的自我」を異化・超克する「労働者=兵士」という概念を導き出した作家である。ユンガーの「労働者=兵士」はハイデガーの「現-存在」にも影響を与えたと言われている。小林敏明の関心領域や問題意識、ドイツ・ロマン派に関する該博な知識を考えると、彼がユンガーに言及しないのは、三島に言及しないこと以上に不自然な印象を受ける。ユンガーはまだまだ日本ではマイナーだから、あえて言及していないのだろうか。それこそ、現代日本における最高のゲルマニストの一人であろう小林敏明にこそ、ユンガーを論じ、あるいは翻訳して欲しいのだけど、いつか着手してくれるだろうか。

――いつもよりさらに纏まりのない感想になったが、そこで語られていること以上に、「語られていないもの」の存在を強く意識させられる、『フロイト講義<死の欲動>を読む』だった。
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