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2024年04月20日02:06

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この“ええ映画”について、本気でネタバレ話をします。未見の方は読まないでね。オリヴィア・ニューマン監督「ザリガニの鳴くところ」(2022)。

2022年の11月に劇場で見て、いたく気に入った映画です。僕はその年のベストテン5位に置きました。なによりも、自然の湿原を舞台に“自然児”の生き様を謳歌するあたりがすばらしい。自然を持ち上げるからいいのではなく、空を飛ぶ鳥を追跡撮影するなど、細かい特殊撮影が我々観客の目を楽しませてくれるのでした。

ということで、今回は見た人限定でネタバレ話を書きたいと思います。ですから未見の方は読まないで下さい。それと、映画を見ずしてネタバレ部分だけを読み取り、知ったかぶりで吹聴する方がいらっしゃいましたら、僕は友達としてのおつきあいを御免被りますので、ご承知下さい。

物語は1969年に、ノースカロライナ州で起こった殺人事件を描きます。湿地の一軒家に住む若い女性カイアが容疑者となる。しかし町の良識派弁護士のトム・ミルトン(デビッド・ストラザーン)が弁護に立ち、町の人々の常識とかけ離れた生活をしている世捨て人への偏見を、鋭く追求するのでした。

カイアが最初に気を許した男性は、兄ジョディの同級生テイトでした。幼い頃に知り合った二人は、思春期に再会します。そしてテイトはカイアに読み書きを教える。するとカイアは町の図書館に通い、そこにある本を手当たり次第に読んで、自然科学に詳しくなり、さらに湿地の自然に詳しくなるのでした。

そこへ“女漁り”で有名な、この町では初めてのクォーターバックとなったチャンスが、カイアの体を狙います。テイトが大学へ進学して町を離れ、カイアと約束した独立記念日に戻らなかったこともあって、カイアはチャンスを受け入れてしまう。しかしチャンスは、女を力で支配しようとする男で、カイアはチャンスに自分の父親の姿を見てしまいます。

で、ネタバレの話になります。つまり裁判でカイアは無罪となります。そして改心したテイトと結ばれ、幸せな日々を送るのでした。そしてカイアは、自分の母親が戻ってくる夢を見つつこの世を去ります。カイアの遺品を整理していたテイトは、1冊のノートの中に裁判で問題になった“チャンスの身から無くなっていた首飾り”を発見します。

つまりカイアは、死体で発見されたチャンスの体から無くなっていた首飾りを持っていたわけです。そのノートには小さな穴が作られていて、首飾りはそこに収まっていました。その数ページ前に男性の顔のイララストがあり、それはチャンスではなくテイトなのですが、首飾りはチャンスのものです。つまりカイアは、チャンスを殺していたことになる。

映画としての結末は、カイアが真犯人であっても無罪であっても、どちらでもいいのです。あの裁判は劇中で語られるように、世捨て人のカイアを町の人間の偏見が裁くのではなく、あの裁判で町の人々の偏見が裁かれたのですから。チャンスは対面上、きちんとした美人妻がおり、カイアはその女漁りの対象だっただけ。

そして今回、英語の勉強のため英語のセリフを読みつつ見直しました。カイアが出版社の人々との食事会で生物のメイティングについて語るカイアのセリフがあります。
>Some female insects do eat their mates. Fireflies, in fact, have two different light signals. One for mating, and one to attract a male in order to make him her next meal.(メスがオスを食べる習性の虫がいます。そしてホタルは2種類の光信号を発します。ひとつはメイティングのため。もう一つはオスを自分の餌として捕食するためです)

まさにカイアは、自然界の法則に則ってオスを捕食したのでした。同時に僕は、判決直後に自分の下腹部をなでたカイアの仕草についても結論を得ました。メスにとって伴侶が誰であるかは問題ではない。自分の子供だけが“自分の分身”なのだ、と。

つまりこの映画にはカイアの子供たちは登場しません。しかし実際は子宝に恵まれていたのではないだろうか、と僕は想像します。そしてまた、父親が誰であろうと、自分の子供は自分の子供であるわけです。そんな自然界の掟を、実に流暢に語ってくれたものだと、僕はこの映画の美しい映像に感嘆しました。

湿地帯の上空を舞う鳥を追って、カメラが中を飛ぶシーンの魅惑的な映像は、おそらく一生忘れられないでしょう。ド派手なカーアクションや、スペクタクルなCGIだけが映画の特殊効果ではないのです。そして自然界の掟に逆らう人間は、自然界から淘汰されていくのだと思います。

さらに付け加えるなら、チャンスのカイアへの思いは言葉通り“正しかった”ということです。もちろんカイアは正妻ではないけれど、チャンスは本気でカイアを愛していたと僕は思う。カイアも“自然界の法則”からオスの身勝手な習性を理解していたのでしょう。

だからカイアはチャンスを殺したわけではなく、あの塔の上から落ちたのは単なる事故ではないでしょうか。要するに自然界の力=神の手が、カイアを助けたのだということ。実にメデタシ、メデタシの映画だったと僕は思います。
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