mixiユーザー(id:1737245)

2022年03月15日01:13

154 view

ウクライナとロシアの間で――ニコライ・ゴーゴリのいた場所

フォト


ヴラジーミル・ホロヴィッツ、スヴャトスラフ・リヒテル、エミール・ギレリス、セルゲイ・ブブカ、大鵬幸喜――左に上げた諸氏は、皆ウクライナ・ルーツの人たちになります。 ホロヴィッツやリヒテルは僕もよく聴きますが、「ロシア人ピアニスト」というイメージで聴いていて、彼らがウクライナ出身であることまで思いが及ぶことはほぼありません。

近代ロシア文学の基礎を築いたとされ、ドストエフスキーに「我々はみなゴーゴリの『外套』から出てきた」と言わしめたニコライ・ゴーゴリもまた、ウクライナ人です。ウクライナを出自とすることを強く意識し、ウクライナの歴史や風物や民俗を好んで題材に取り上げたゴーゴリでしたが、しかし小説を書く際に彼が選んだのはロシア語でした。彼がプーシキンと並んで近代ロシア文学の父とされる所以でしょう。

現在のウクライナでは、ゴーゴリをウクライナ・ナショナリズムのシンボルにするために、ゴーゴリの小説の「ウクライナ語訳」も行われているらしいですが、これには原典を損ねるという批判もあるそうです。ゴーゴリをロシア文学の歴史から外してしまっては、近代ロシア文学そのものが成り立たなくなってしまうでしょう。ウクライナとロシアの関係は、文学という民族の魂を巡る次元から、かくも引き剥がしがたく絡み合っています。

ゴーゴリの小説では、ウクライナは「小露西亜」「小ロシア」(Μικρά Ρωσία)と表記されています。

「小露西亜の夏の日の夢見心地と、その絢爛さ!」(ゴーゴリ「ソロチンツイの定期市」平井肇訳)

「私は小ロシヤの物侘びしい田舎で世間の煩ひをよそにみて、土地の者からは『昔気質の地主様』と普通に云はれてゐる人たちの質朴な生活がたいへん好きなのだ」(ゴーゴリ「昔気質の地主たち」伊吹山次郎訳)

「小ロシア」は元々教会用語ということです。Wikipediaの「小ロシア」の項目の説明だと以下の通り。

「「小ロシア」(小ルーシ)の用語は、14世紀のギリシャの聖職者によって作り出されたとされる。13世紀半ばにキエフ大公国(ルーシ)がモンゴル帝国に滅ぼされ、その大公国の後継者としてハールィチ・ヴォルィーニ大公国(南西ルーシ)とウラジーミル・スーズダリ大公国(北東ルーシ)が誕生すると、コンスタンディヌーポリ総主教庁に属した従来のキエフ府主教区を分割するための前提が成立した。ギリシャの聖職者は、2つの大公国を区分する必要性があったため、古代ギリシャの「小ヘラス」と「大ヘラス」の地域的区分を応用し、南西ルーシを「小ロシア」、北東ルーシを「大ロシア」と呼んだ」(Wikipedia「小ロシア」)

教会の都合で便宜的に分けて呼ばれていただけで、当初は民族的な違いを意味する言葉ではなかったようですが、その後、「小ロシア」ではトルコ人やポーランド人との混血も進み、「大ロシア」とは分かれる民族的発展をすることになり、やがてロシアとは異なるウクライナ民族という自意識を持つに至りました。元々が民族的にはルーツを同じくしていることも、目下のロシアとウクライナの関係をややこしくしているのでしょう。

クロポトキンの名著『ロシア文学の理想と現実』では、ゴーゴリのウクライナ的(小ロシア的)性格が強調して記述されています。

「ゴーゴリ(一八〇九ーー八五二)とともにロシア文学は新しい時代を迎えた。批評家たちはこれを「ゴーゴリ時代」と呼び、それは今日までつづいている。ゴーゴリは、大ロシア人ではなかった。彼は一八〇九年に小ロシア、即ちウクライナの貴族の家に生れた。彼の父もいくらかの文学的才能をあらわし、ウクライナ語でいくつかの喜劇を書いた。しかし、ゴーゴリは十五歳のときにはもうサンクト・ペテルブルグへきていた。当時の彼の夢は俳優になることだったが、ペテルブルグ帝国劇場の支配人が彼を受けいれなかったので、彼は別の活動分野をさがさなければならなかった。彼は官庁に書記補の地位を得たが、そこはおもしろくなかったので、まもなく文学者の生活に入った」(クロポトキン『ロシア文学の理想と現実』)

「ゴーゴリの文学的出発は一八二九年で、ウクライナの農村生活に取材した短編が最初の仕事だった。『ディカーニカ近郊夜話』と、それにすぐひきつづいて発表した『ミールゴロド』という短編集によって彼は一挙に文学的な名声を得て、ジュコーフスキイやプーシキンのグループの仲間になった。この二人の詩人がすぐにゴーゴリの天才をみとめ、両手を大きくひらいて彼を迎えいれたのである」(同上)

また、クロポトキンは小ロシア(ウクライナ)の大ロシアと異なる民族性や風物を鮮やかに描いていますが、このくだりは『ロシア文学の理想と現実』の白眉と言っていいくらい見事なものです。この辺の観察眼に、クロポトキンが優れた地理学者であったことも窺えるように思います。

「小ロシアはロシア帝国の中央部、即ちモスクワをとりまいている大ロシアとは、いちじるしくちがっている。もっと南方に位置していて、南方の風物はなにによらず北方人にとってはつねに魅力がある。小ロシアの村々は、大ロシアの村のように街路に配置されていず、白く塗った家々が、西ヨーロッパにおけるようにあちこちの小農場の中に点在していて、それを魅力のある小庭園がとりかこんでいる。温暖な気候、あたたかい夜、音楽的なことば、おそらく南スラヴ人にトルコ人とポーランド人の血がまじってできたにちがいない美しい人種、絵のような衣裳と叙情的な歌謡――こういったものが小ロシアを大ロシアにとってとくに魅力的なものにしているのである。かてて加えて、小ロシアの村々の生活は、大ロシアの村々の生活よりもはるかに詩的である。青年男女の関係もはるかに自由で、結婚前に自由に交際する。むしろ、ここにはポーランドの影響がゆき渡っている。小ロシア人たちはまた、自由なコサックとして北方のポーランド人、南方のトルコ人と戦っていた時代からの伝承や叙事詩や歌謡を数多く保っている。ポーランド人とトルコ人からギリシア正教をまもらなければならなかった関係から、彼らは厳重にロシア正教に固執していて、大ロシアの分離派教徒が聖書の字義についてよく夢中になってスコラ哲学的な議論を交わすような風景は小ロシアでは見られない。彼らの宗教は、全体としてはるかに詩的な性格を帯びているのである」(クロポトキン『ロシア文学の理想と現実』)

「小ロシア語は、大ロシア語よりもずっとメローディアスで、現在それを文学的に発展させようとする運動がおこなわれてはいるが、その進展はいまのところまだ未完成である。ゴーゴリは、賢明にも大ロシア語――というのは、ジュコーフスキイやプーシキンやレールモントフのことばで書いた。こうして、私たちはゴーゴリの中に小ロシアと大ロシアの二つの国民性の結合を見ることになったのである」(同上)

「小ロシアの生活に取材したゴーゴリの小説の中にあるユーモアとウィットを理解してもらうためには、そのすべてのページを引用しないことには不可能であろう。それは、人生を心からたのしんでいる若者の笑いである。村の歌い手、富裕な農民、田舎のおかみさんや、村の鍛冶屋といった登場人物たちを喜劇的な境遇において、それを作者みずからが笑いとばしている思いやりのある笑いである。彼はしあわせいっぱいで、人生の喜びをかき乱すような暗い心配はひとつもないのだ。しかし、彼が描く登場人物たちは、詩人の思いつきで喜劇化されるのではなく、ゴーゴリはつねに細心なまでに現実に忠実であった。ひとりひとりの農夫、ひとりひとりの歌い手が実人生の中からとりだされてきていて、ゴーゴリは詩的であることをけっしてやめることなしに、ほとんど記述民族学的だとも言えるほど現実に忠実である。クリスマス・イヴや夏至の夜には、悪霊や悪鬼があけがた鶏が鳴きだすまで歩きまわるといったような農村の迷信がすべて読者の目の前にさらされるが、私たちは同時にウクライナ人に固有なあらゆるウィットを知らされもするのである。ゴーゴリの喜劇的な気質がほんとうの「ユーモア」と言えるもの――すなわち喜劇的な状況と悲しい人生の実体とのコントラストにまでたかめられたのは、もっとあとになってからのことである。それを見て、プーシキンがゴーゴリの作品について、「彼の笑いの背後には、目に見えない涙を感じる」と言ったのであった」(同上)

そしてクロポトキンが、ゴーゴリの切り拓いた「リアリズム」は、同時代の生理学に依拠したゾラ流のリアリズムに勝るものだと説くくだりは、ゴーゴリのみならず、ゴーゴリの弟子であるドストエフスキーの文学を説明する射程をも具えているように思います。

「ロシアの小説のリアリズムは、プーシキンからというよりはむしろゴーゴリからはじまるのではないかという説は――トゥルゲーネフとトルストイの考えはそうである――いまなお問題にされているが、ロシア文学の中に社会的要素をとりいれ、ロシア国内の社会状態の分析にもとづく社会批評を導きいれたのがゴーゴリの作品であることには、いささかの疑問の余地がない。グリゴローヴィチの農民小説、トゥルゲーネフの『猟人日記』、ドストエフスキイの初期の作品などは、ゴーゴリが創めたものから直接に生まれてきた結果であった」(クロポトキン『ロシア文学の理想と現実』)

「芸術におけるリアリズムは、数年前、主にゾラの初期に作品にかかわって大いに議論されたことがある。しかし、ゴーゴリという作家をもち、リアリズムの最高の形式を知っている私たちロシア人は、フランスのリアリストたちとは考えをおなじくしない。私たちはゾラの中に、彼が倒そうとしてたたかったロマンティシズムとおなじものがたくさん残っているように思うし、初期の作品の中に見られるゾラのリアリズムは、バルザックのリアリズムからの一歩後退であると思う。私たちの考えでは、リアリズムというものを単に社会の解剖だけに限定すべきではない。それはもっと高い背景をもつべきものだし、リアリスティックな描写は理想主義的な目的に従属すべきものなのだ。ましてや、私たちはリアリズムを人生の最も低劣な現象だけの描写だなどと考えることはできない。なぜかと言えば、人生の最も低劣な現象だけに限って観察することは、リアリストの態度ではありえないからである。現実の人生は、最も低劣な現象のほかに、またその内部にさえも、最高の現象をふくんでいるものなのである。もし私たちが現代社会を全体として眺めれば、頽廃は社会の唯一の姿でもなければ、支配的な姿でもない。従って、最も低劣で最も頽廃した現象だけを見て、人生の特別な目的に目を向けない芸術家は、読者に<私は人生のごく限られた片隅だけ描いているんですよ>と思わせることはできない。そのような芸術家は、あるがままの人生を見ているとは言えない。彼は人生の一面、それも最も興味あるものとは言えない一面を見ているだけなのである」(同上)

「わが国の偉大なリアリストであるゴーゴリは、後代にむかって、リアリズムが、人生の深い洞察をいささかも失うことなく、また人生の真の再現たることをあきらめることもなく、より高い目的に奉仕できることを早くからさし示していたのであった」(同上)

現代の眼で読んでも、深い理解と共感に裏打ちされた、最高水準のゴーゴリ論になっているように思います。ことに、

「私たちはゴーゴリの中に小ロシアと大ロシアの二つの国民性の結合を見ることになったのである」

「ゴーゴリの喜劇的な気質がほんとうの「ユーモア」と言えるもの――すなわち喜劇的な状況と悲しい人生の実体とのコントラストにまでたかめられたのは、もっとあとになってからのことである。それを見て、プーシキンがゴーゴリの作品について、「彼の笑いの背後には、目に見えない涙を感じる」と言ったのであった」

「私たちの考えでは、リアリズムというものを単に社会の解剖だけに限定すべきではない。それはもっと高い背景をもつべきものだし、リアリスティックな描写は理想主義的な目的に従属すべきものなのだ。ましてや、私たちはリアリズムを人生の最も低劣な現象だけの描写だなどと考えることはできない。なぜかと言えば、人生の最も低劣な現象だけに限って観察することは、リアリストの態度ではありえないからである。現実の人生は、最も低劣な現象のほかに、またその内部にさえも、最高の現象をふくんでいるものなのである」

「わが国の偉大なリアリストであるゴーゴリは、後代にむかって、リアリズムが、人生の深い洞察をいささかも失うことなく、また人生の真の再現たることをあきらめることもなく、より高い目的に奉仕できることを早くからさし示していたのであった」

といった指摘は、ゴーゴリのいまだ色褪せぬ現代性の秘密をクリアに言語化しているように思われます。そしてまた、晩年のゴーゴリが発狂したのも、あまりにも現実を――小ロシアと大ロシアの分裂という統合しようのない現実を――あるがままに見過ぎたためであったのではないかとも思われてきます。

日本人は、おそらく芥川経由でゴーゴリによってはじめて不条理文学というものを知ったと思われますが、ゴーゴリが不条理文学の先駆になりえたのは、クロポトキンが指摘している、

「小ロシアと大ロシアの二つの国民性の結合」

という不可能を試みる場として自身の魂を提供したためだったからかもしれません。そしてその試みは、文学の世界にまったく新しい表現領域を齎すのと引き換えに、ゴーゴリの魂を破滅させることにもなりました。ナボコフはゴーゴリの『外套』を論じて次のように書いています。

「人類の本質は、ゴーゴリの世界を形作っている混沌たる虚構から非合理的なやり方で立ち現われてくる。『外套』の主人公アカーキー・アカーキーエヴィチが不条理なのは、彼が哀れを催さずにはおかないからこそであり、彼がいかにも人間的だからこそであり、また彼自身とはかくも著しい対照をなす、かの諸力によって生み出されたものだからこそである」(ナボコフ『ニコライ・ゴーゴリ』)

「それではこの奇妙な世界、一見無害な文章の割れ目からわれわれが絶えず瞥見する奇妙な世界とは何であろうか。それはある意味で現実の世界であるが、これを覆い隠す舞台装置に慣れているわれわれの眼には、おそろしく不条理なものと見える。『外套』の主人公である慎しい小柄な書記はほかならぬこうした瞥見から成っており、それゆえゴーゴリの文体をとおして迸り出るかの隠れた、しかし現実の世界の精神を体現している」(同上)

「ゴーゴリの文体の織地にあいた裂け目と黒い孔は、生そのものの織地が有する瑕疵を暗示する。何かがひどく狂っており、ありとあらゆる人間は軽い精神異常者であって、彼らの目に重要と映る事柄を追いかけるのに忙しく、いっぽう馬鹿馬鹿しくも論理的な或る力が彼らを無益な仕事に縛りつけている――これがこの物語の真の「メッセージ」である」(同上)

「ゴーゴリの世界には、「アコーデオン宇宙」とか「爆発宇宙」といった現代物理学の概念と一脈通ずるものがある。安楽に回転していた前世紀のぜんまい仕掛け的世界との間には、はなはだしい距離がある。空間に彎曲があるように、小説の文体にも彎曲がある」(同上)

「プーシキンの散文は三つの次元を有している。ゴーゴリの散文には次元が少なくとも四つはある。彼を同時代の数学者ロバチェフスキーに比べることができよう。ロバチェフスキーはユークリッドを爆破し、のちにアインシュタインが発展させた理論の多くを、一世紀前に発見した。平行線が交わらないのは、それらが相交われないからではなく、ほかにすることがあるからである。『外套』に開示されたごときゴーゴリの芸術が示唆するものは、平行線が相交わりうるばかりでなく、のたくることもできれば、この上なく突飛なかたちに絡み合うこともできるのであって、それはちょうど水に映った二本の柱が漣を受けて思う存分ぐにゃぐにゃ捻じ曲るのにも似ているということである。ゴーゴリの天才とはまさにこの漣であり、これによって二プラス二は、たとえ五の平方根とはならないにせよ、少なくとも五にはなり、しかもこれがゴーゴリの世界にあっては全くあたり前であって、そこには合理的な数字も、またわれわれが自分自身ととり交わした疑似形而下的合意も、つきつめて考えるなら、存在しているとは言えないのである」(同上)

そして2022年の現在だからこそ、ゴーゴリ自身を狂気に追いやったゴーゴリの散文の交わらないものを交わらせようとした非合理性を現代物理学に擬えて描き出そうとしたナボコフの文章は、不条理の只中での祈りのようにも思えてきます。
2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する