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2021年01月15日19:10

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『楢山節考』と『幼年期の終り』――もう一つの「生命尊重以上の価値の所在」

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三島由紀夫が昭和45年11月25日に市ヶ谷で自決する際、「生命尊重以上の価値の所在を見せてやる」と叫んだことは有名だが、これは戦後ヒューマニズムに叩きつけられた最もラジカルな批判といえるだろう。

命は確かに大切だが、命を絶対視することは、かえって命を貶めることにつながりかねない――たとえば終末期医療の現場などで現代人が直面しているアポリア――そういう命を巡る逆説を三島の最後の叫びは断ち切ろうとするものだったように僕の耳には響く。ある場合にはみずから命を捨てることが、かえって命(生)を尊厳あるものにするのではないか――日本人にはある種の危険な懐かしさすら感じさせる死生観を、三島はその死によって戦後ヒューマニズムに対置したように思われる。

三島の遺作となったのは『豊饒の海』だが、当時、この畢生の大作と同時進行的に書かれ、結局三島の死によって中絶した評論に『日本文学小史』と『小説とは何か』がある。この二つの評論は、晩年の三島の思想及び彼の文学観を知る上でも重要なテキストだが、後者の『小説とは何か』で、深沢七郎の『楢山節考』とアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』を取り上げ、この二作品をアンチヒューマニズムの「不快な傑作」と並称しているのが興味深い。

雪の降りしきる山奥でひとり仏になろうとするおりんの姿で日本史上に現れたキリストを描こうとしたという『楢山節考』と、進化論的パースペクティブの中でより高次の存在へとメタモルフォーゼしていく子供たちの姿と古い「人類」の滅亡を壮大に描き出す『幼年期の終り』。

両者の作風はまったく異なるが、三島の指摘するように、ともに近代的なヒューマニズムから逸脱する生命をめぐるビジョンを描き出しているという意味で共通するものがある。『楢山節考』は1956年に、『幼年期の終り』は1952年(邦訳は1964年)に、それぞれ発表された作品だが、この一見まったくかけ離れた二つの作品のうちに通底する「近代への懐疑」ともいうべき同時代的主題を読み取った炯眼は、「批評家」三島由紀夫のアンテナの精度の高さと確かさを示すものと言えるだろう。

日本の古い民間伝承に取材した『楢山節考』はいわば「前近代」から、進化論的パースペクティブに基づく思考実験を突きつめた『幼年期の終り』はいわば「超近代」から、それぞれ「近代的ヒューマニズム」をラジカルに批判し、そこに三島のいう「生命尊重以上の価値」ともいうべきものの所在を読む者に予感させるに至っている。

戦時中の「近代の超克」の議論などに見られるように、20世紀の前半にはすでに「近代」が袋小路に入っているという問題意識が知識人の一部に共有されていた。また、フォークロアや空想科学小説の流行は、その問題意識の大衆レベルでの反映だったのかもしれない。そういう問題意識を、戦後に引き継ぎつつ、一方は民俗的な伝承を手がかりに、他方は科学的思考実験によって、それぞれ「近代的ヒューマニズム」の臨界点を描こうとしたのが、『楢山節考』であり『幼年期の終り』だったのではないだろうか。

そして、三島の残した「生命尊重以上の価値の所在」という言葉を、必ずしも「日本」にのみ限定的に収斂させずに捉ええる可能性も、『小説とは何か』における『楢山節考』と『幼年期の終り』に関する批評は孕んでいるのかもしれない。それにしても、そのように両作品を読むことは、ある種の危険なステートメントともなるものだが、いったいに、あまりにも「危険でない」言説ばかりが溢れているのも、現代における「生命尊重」がかえって生命を貶めることになっている風景――目下のコロナ禍の風景もそのようなものではないと言えるだろうか――を現出させているように思われてならない。
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