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2020年06月14日02:07

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「ロボット」100年史

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いまさらながら、カレル・チャペックの『ロボット』を読んだ。「ロボット」といういまでは一般名詞として使われている言葉はこの戯曲に由来するが、奇しくもこの作品が書かれたのは1920年のことなので、今年は「ロボット」という言葉が誕生してちょうど100年になる。

チャペックの『ロボット』自体は、2〜3時間もあればサクッと読める軽いエンタメなのだけど、そこで扱われているテーマは古びていないどころか、かえって「生産性」の名の下に「人間性」が忘却されているグローバリズムの現代にこそ生々しい作品になっている。それこそ、現代を舞台に再演しても面白いと思う。人間の作ったロボットがやがて人間に反乱を起す――というストーリーも、『ブレードランナー』(『アンドロイドは電機羊の夢を見るか?』)や『ターミネーター』の元ネタといっていいくらい、その後の文学や映画の世界で繰り返し使い回されている。

チャペックの「ロボット」は、いまでいう「クローン人間」に近く、見た目は人間と変わらず、肉と血で出来ているが心はないという存在である。そもそもは生理学的技術を使って作り出された「人造人間」としてチャペックは「ロボット」を構想したのだけど、その後100年の間に、鉄腕アトムやガンダム、あるいは『スター・ウォーズ』のR2-D2やC-3PO、そしてターミネーターのように、工学的な機械人形という風に「ロボット」のイメージが変化しているのも興味深い。その中では、ディックのレプリカントが、人間と見分けがつかないという意味で、一番元祖のチャペックに近い。最後にロボットに心が宿り人間以上に人間的な存在になるというオチも、ディックはチャペックを踏襲している。100年の間に「ロボット」のイメージがどのように変容・発展してきたかを通覧してみるのも、人間とテクノロジーの関係を時代ごとに映すものになり面白いと思う。

「人造人間」というモチーフは、ギリシャ神話のピグマリオン以来、ユダヤ教伝承のゴーレム、ゲーテのホムンクルス、メアリー・シェリーのフランケンシュタインなど、チャペック以前にも様々に描かれてきているが、チャペックの画期性は、近代的な生産効率化・大量生産・低コストの労働力の供給というニーズに応えるものとして「ロボット」を描いていることである。むしろ、フォードによって案出され、現実のものとなった機械化された大量生産という近代的産業形態の出現が、チャペックに「ロボット」というまったく新しい人造人間のイメージを構想させたといった方がいいだろうか。いずれにせよ、近代的なテクノロジーと生産様式が人間に強いる疎外状況を象徴する存在として描かれているという意味で、「ロボット」はそれ以前の人造人間譚と決定的に異なるガジェットを、フィクションのみならず現実の世界にももたらしたといえるだろう。

最後に、印象に残った科白を引用しておこう。

「お嬢様、速度を速めるというのはいつも進歩なのです。自然は労働を近代的なテンポで行なうという概念を持ち合わせていませんでした。幼年時代というのは初めから終りまで技術的に見ればまったくのナンセンスです。要するに時間のロスです。耐えがたい時間の無駄なのです」

「ヘレナ、人間はいくらか気違いであるくらいでなければ。それが人間の一番いいところなのです」

「一つのレンガを置く方があんまりにも大きなプランをたてるより正しいような気がします」

「非生産性こそ、ヘレナ夫人、人間に残された最後の可能性になりつつあるのです」

「なぜ女の人たちに子供ができなくなったの?」
「それが必要ではないからです。私たちは楽園にいるからです。お分かりですね」

「自然よ、自然よ、生命は不滅だ! 仲間よ、ヘレナよ、生命は不滅なのだ! それはふたたび愛から始まり、裸のちっぽけなものから始まる。それは砂漠に根を下ろし、われわれが作り、建てたものは役に立たない。それなのに生命は亡びないのだ。ただわれわれだけが亡んだのだ。家々や機械はくずれ落ち、世界の体制は壊れ、偉大な人々の名は木の葉のように落ちていく。ただお前、愛よ、お前だけが廃墟で花を咲かせ、生命の小さな種を風に任せるのだ」
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