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2016年06月04日17:29

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猪木VSアリ戦の地球史的な意味

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モハメド・アリが亡くなった。

アリは勿論偉大なボクサーでもあるのだけど、個人的には、それこそビートルズと並ぶ60年代の「青春」を象徴するアイコン的存在だったというイメージが強い。アリのレベルでスポーツ界にとどまらず一つの時代を象徴する文化現象となったアスリートは、おそらく空前絶後だろう。

日本だと何と言っても、その後の総合格闘技の源流となったアントニオ猪木との対決で記憶している人も多いと思われる。

「世紀の凡戦」とも評された猪木対アリ戦の地球史的な意味については、特異な解剖学者・三木成夫が、その主著『胎児の世界』(中公新書)において、次のように壮大な視野で絵解きしている。

「……しかし祖先物語は、ときに白昼に、壮大なショウとして現れることがある。ひとむかしまえ、武道館の檜舞台で「世界の格闘技」と銘打っておこなわれた世紀のイヴェントがそれだ。結着を待ち望んで裏切られた、おそらく世界数億の観衆のこころには、しかし、それでもなお、得体の知れない興奮の燻りが長く尾を引いて残ったはずだ。その勝負の意味するものは、じつはゴング直後の一瞬に炸裂していた。一方の横倒し・足蹴りを、他方がひらりとかわす。爬虫類と哺乳類の、それは宿命の対決だったのだ。アマゾンのワニの尻尾の一撃。密林の王者の誇らかなドラミング。そこには、アルプス造山運動を背景に一億年の興亡を賭けた両者のドラマが一つの“所作事”として、夢のごとくに再現されていたのである。
 哺乳類の祖先が長い中生代を、恐竜王国の片すみでひたすらおびえて生きつづけてきたことは、再度にわたって述べたが、この巨大な地殻の震動は、両者の勢力を逆転させる。爬虫類は寒冷の襲来とともに、一挙に台頭した獣類の牙に壊滅し、一部の残党は地下にもぐって怨念を唾液の毒汁と牙の注射針に托す。そこには、脊椎動物誌をいろどる雄大な“源平盛衰記”があったのだ。リング狭しと展開されたその格闘技のなかに、人びとは遠い祖先の血のにじむ物語を、直観的に見てとったのではなかったか。ほんものの、これが“夢の対決”である」(三木成夫『胎児の世界』)

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――見る目を持つ者であれば、猪木対アリ戦に、ここまで壮大な物語を読み取るのである。さらにいえば、三木成夫はここで、

  モハメド・アリ=哺乳類VSアントニオ猪木=爬虫類

という構図を提示し、アントニオ猪木を「人類」どころか「哺乳類」にも納まらない存在と見做しているわけだけど、アントニオ猪木という現代日本における最大の山師の担っているものが「爬虫類」以来の「歴史の敗者」の怨念であると考えてみたとき、猪木の胡散臭い活動の数々にジェルジェ・ルカーチのいう意味での「イロニー」を見出すこともできるだろう。ルカーチによれば、イロニーとは歴史の敗者となり地下に潜った流竄の神々の暗い嘲笑なのだそうである。

猪木のアリキックは、まさに一種の「イロニー」として機能し、格闘技のジャンル分けを異化して、90年代以降に隆盛する総合格闘技の遠い「キックオフ」となったわけだけど、それもモハメド・アリという偉大なる「哺乳類の王」がいなければ決して起きることのなかった 「事件」だったのである。

三木成夫による、アントニオ猪木は哺乳類よりも爬虫類に近い生き物であるという――という仮説から、さらに晩年の太田龍の唱えていた「爬虫類人陰謀論」にまで言及したくなる誘惑にも抗いがたいものがあるが、そこまで広げると話に収拾がつかなくなるので、今日のところは最後に、ジョン・レノンがアリに捧げた「アイム・ザ・グレイテスト」を聴きながら偉大なるチャンプを偲ぶ形で強引に文章にオチをつけておこう。



元ヘビー級王者Mアリさん死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4026847
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