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2016年04月21日20:00

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吉田隼人歌集『忘却のための試論』

2015年、書肆侃侃房刊。

この歌集中に「呪詛の外われに歌なし 蜉蝣目(ふいうもく)こよひまぐはふぬるき水のへ」という一首がある。全面的に「呪詛」があふれかえっているような作品ではないが、短歌という表現ジャンルにひたすら抒情や美に包まれるような世界の至福感を求める読者とは縁なき作品だろう。だが、短歌というジャンルはそうした閉じられた域に安住していてよいことにはならないだろうから、こういう詠み手が現れるのは好ましいことだと思う。

基本的に“われ”は物語のナレーターの位置にあって、語られる物語が作品化されている。その意味で、前衛短歌のスタンスを継ごうという作者なのだろうと思った。

以下、『忘却のための試論』より5首。

棺にさへ入れてしまへば死のときは交接(まぐは)ふときと同じ体位で

足らぬもの数ふるよりもいもうとは賠償金でパーマをあてる

きみはちゆうとストローを吸ふ 知恵の実の汁と知らねばもう一つ吸ふ

しろき糸ひいて性器はわたしたちみな液体と思ひ出させる

単数の鳥、単数の死を負ひて羽根のうちなる模様をさらす

1首目(棺にさへ…)のような歌は敬遠されがちな表現かも知れないが、こういうものを敬遠するメンタリティーが短歌というジャンルを狭めてきたのではないかと僕は思う。

4首目(しろき糸…)は「小倫理学」と題された一連中の一首で、スピノザの『エチカ』からの引用が詞書とされているのだが、そのあたりについては省略。僕はこの一連の詞書のペダンチズムはいいと思わなかった。が、若さというのはこういうことをやりたくなるものなのだろう。

ついでに言うと、この歌集のあとがきもなんだかはなもちならぬ文章で(日本語の文章中に当然のようにフランス語が混入したりする…)、僕のような読者は却下、である。僕も20代の頃はこの類のことをやっていたので、かつての自分への自己嫌悪、という面もある。で、そのあとがきでは、作者はこの先自殺するかも知れぬし、短歌をやめるかも知れぬ、というようなことがもってまわった文体でぐずぐず書かれているのだが、こういう若き甘ったれに対しては、好きなようになさい、とだけ言っておくのが良いだろう。


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