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2015年11月23日14:53

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独裁かアナーキーか――緊急事態条項の是非

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緊急事態条項制定の必要性に関する議論で、またぞろ反安倍派が「民主主義の終焉!」「独裁の完成!」と騒いでいるけど、「民主主義の祖国(本当はイギリスだという説もあるけど)」であるフランスの憲法には普通に緊急事態条項があり、パリ連続テロを受けて、目下実際にそれが発令されている。反安倍派に言わせれば、現在のフランスでは「民主主義が終焉」し「独裁が完成」していることになるのだろうか。ロシアに至っては、対テロ政策をプーチン大統領に「白紙委任」するという決議がなされた。「白紙委任」というとまさにナチスだけど、では現在のプーチンはヒトラー並みの権力を掌握し、ロシアではナチス・ドイツに匹敵する独裁体制が完成したということになるのだろうか。反安倍派をやっている人の多くは自分を「日本人」と規定することを好まず、国家などという想像的な擬制には囚われない「世界市民」や「人類」と自己規定することを好む人が多いように見受けられるけど、ならばそれこそ国境を越えて、フランスの非常事態宣言やロシアの白紙委任は「民主主義の終焉」であり「独裁の完成」であって、それは「人類」に対する重大な挑戦である! ――と厳しく抗議するべきである。また、憲法に緊急事態条項を有する国は世界に100カ国以上存在するという。実に100カ国以上もの国が「民主主義の終焉」「独裁の完成」の危機に瀕しているのである。もし緊急事態条項が独裁に直結するものなのであれば、世界中に潜在的独裁国家が存在していることになるのだから、この由々しき「世界の危機」に対しても、反安倍派のコスモポリタンたちは「人類」の尊厳に賭けて、厳しく抗議するべきではないだろうか。

ちなみに、三島由紀夫はその憲法改正案で非常事態法に関して次のように書いている。

「非常事態法が制定されたからとて、非常の事態が安穏に収拾されるといふ保証はどこにもなく、又これを防止しうるわけでもない。大地震等の天災地変に応じて、軍司令官に一旦委譲された権限は、天災の終熄と共に、もとへ返されるといふ保証も、どこにもない。では、そのやうな法的措置を予め講じておかなかつた場合はどうかといへば、法の混乱と物理的混乱が生じるだけのことであり、法的無秩序を収拾するのは何らかの「力」であるに決まつてゐるから、結局その「力」に屈するほかはなくなる。それが怖いからとて、精密な非常事態法を制定しておけば、又それが動乱を誘発することにもなりかねない。すべて痛し痒しである」(三島由紀夫『日本改正案』)

少なくとも緊急事態条項がなければ、それだけで「民主主義の終焉」や「独裁の完成」から逃れられわけではないことくらいは、反安倍派のコスモポリタンたちも知っておいていいだろう。むしろ緊急事態条項の欠落のために、例外状況に際して、「民主主義の終焉」や「独裁の完成」以上にむき出しの暴力が横行するアナーキー状態――たとえば現在イラクやシリアで進行しているような状態――に陥る可能性すらあるのである。賛成するにせよ反対するにせよ、緊急事態条項を考える際にはそこまで想定しておくべだろう。

「主権者とは、例外状況に関して決定をくだす者である」(カール・シュミット『政治神学』)
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