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2023年09月12日05:37

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自作の良し悪しは自分で決める

先日、松村正直さんの「やさしい鮫日記」で「歌の良し悪し」という記事を読んだ。
https://matsutanka.seesaa.net/article/500690534.html
高安国世訳のリルケと高安の文章の一節が引かれていて、自作の良し悪しは自ら決めるべしと書かれている。

しかり。しかり。でもそれなら歌会に出たりするのは無意味なのかと言えば、もちろんそんなことはない。自作を他者がどう読むのかを聞くのはとても大切なことだと思う。新聞や雑誌への投稿だけで自足しているとこの経験が欠けるので、採られた採られなかったと一喜一憂するところから先へのステージへなかなか進めないケースが多いようだ。

僕の経験で言えば、歌会にたびたび参加して場数を踏むと、自作について出されたコメントのうち、いただくものと却下するものとの判別がつくようになってくる。というようなことを、下記の「短歌人ネット歌会」のコメントで記したことがあった。
http://tankajin.seesaa.net/article/498134017.html

例えば結句が字余りの作品を歌会へ出したとする。この字余りはよろしくない、結句7音に収めよというコメントが出る。ところがその次に、この字余りが良いではないか、ここをお行儀よく7音にしたらこの歌の良さが失われる、とかいうコメントも出たりする。歌会慣れしていないうちは、こういう時に大いに迷うのである。右往左往というか右顧左眄というか、そんなふうにジタバタすることになる。もしその場に例えば小池光さんのようなベテランがおられて、ここはやっぱり字余りはよくないだろうと小池さんが言えば、小池さんの言に従おうということにしたりするが、それだけではまだ自作の良し悪しを自分で決めたということにはならない。このへんは、修行僧が修行を積んで少しずつ開眼して行ったりするのと似ているところがあるのではないかと思う。

それと、上記の「短歌人ネット歌会」もそうだが、歌だけ出して、自作についてどのようなコメントがあるのかを知りたい、しかし他者の作品についてのコメントはしないというひとが時々いるが、それでは歌会に参加しているとは言えない。自作はひとまず措いて、他者の作品についての自分のコメントと他のひとたちのコメントとを吟味する、というのが歌会という場でいちばん大事なことだと思う。かつて長谷川知哲さん主宰のネット歌会に参加していたことがあったが、知哲さんはその点については厳しかった。結局のところ、自作に対する評価にしか関心がなかったひとは、その後短歌から遠ざかって行った、ということが多かったように思う。


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