mixiユーザー(id:1737245)

2020年07月30日23:01

68 view

「名誉」と「意地」のポリフォニー――『ミンナ・フォン・バルンヘルム』

フォト


ドイツ18世紀啓蒙思想を代表するゴットホルト・エフライム・レッシングの『ミンナ・フォン・バルンヘルム』を読んだ。

岩波文庫版の表紙カバーに「ドイツに数少ない喜劇の傑作」とあるように、たしかに皮肉の利いた科白がテンポよく飛び交い、ぐいぐい引き込まれながら読了した。

たとえば、主人公の令嬢ミンナの侍女フランツィスカの、

「こういった罰あたりの大都会じゃ、眠れるわけがございませんわ。客馬車、夜まわり、太鼓、猫、哨兵取り締りの分隊長さん――そういったものが、しっきりなしに、がらがら、わいわい、どんどん、にゃーにゃー、がみがみ音をたてるんですもの。まるで、夜があるのは、休息のためなんかじゃない、とでもいうみたいですわ。――紅茶を一杯いかが、お嬢様?――」

なんて科白は、都会の「夜の街」の喧噪をユーモラスに風刺しつつ眼前に彷彿とするように見事に描写していて、作者の並々ならぬ才気を感じさせる。

ただ、傑作喜劇であるのはたしかだけど、たとえばレッシングが私淑したフランスのモリエールの軽妙さや、ボーマルシェの出たとこ勝負の縦横無尽の機智とは異質で、やはりどこかしらドイツ的な田舎臭さと生真面目さが全編に漂っていて、単に俗悪で愚かしい世相を笑い飛ばして済ますだけでなく、どんな人間も高貴になりえるという信念に基づく教育的情熱みたいなものが根底に感じられて、そこが読んでいて一番心を打たれたところだった。やっぱり、フランス文学よりドイツ文学の方が好きだな。

たとえば、ミンナの恋人フォン・テルハイム少佐の、

「女性相手に、或る種の問題にからませて冗談を言うのは、絶対に禁物なんだぞ」

「軍人になるのは、お国のため、でなかったら、戦争の目的とするところに共感を覚えたから、というのでなければうそだ。あてもなく、今日はここ、明日はそこと勤務するのでは、牛殺しの手先のように渡りあるくのと、変りがないじゃないか」

という科白や、ミンナがフラツィスカをたしなめていう、

「ねえ、おまえは立派な方達のことならとても分かりが早いけれど、下司ばった人達を堪忍して上げる方も、身につけてみたらどうなの?――そういう人達だってやっぱり人間なのよ。――それに、見かけほど、そうそう下司ばった人間なんているもんじゃない、ってこともありがちだわ。――良い面だけを探し出すようにしなければいけないのよ」

という科白の「教育的」な気高い響きは、さすが教養主義の国ドイツならではという気がする。

作品のクライマックスは、この戯曲が書かれた七年戦争当時のプロシア王国の国是であった「名誉」を巡るミンナとフォン・テルハイム少佐の緊張感に満ちた劇的対話なのだけど、ドイツ語の「Ehre」が「名誉」と「意地」を同時に意味することをうまく利用したポリフォニーがここで生じている。

フォン・テルハイム少佐「名誉というのは、わたしどもの良心の声でも、少数の誠実な人達の証言でもありませ――」
ミンナ「どう致しまして、よく存じあげておりますとも。――名誉とは――意地ですわ」

翻訳者の小宮曠三の巻末解説によると、この「Ehre(名誉=意地)」を巡る対話で、プロシア軍国主義への批判が提示されているということだが、軍国主義への批判と取ってしまうのは、戦後日本的バイアスがかかりすぎという気がしなくもないけど、たしかに「名誉」を官製のものから個人の「意地」へと再定義する迫力が、ミンナの切り返しにはあるように思う。

ところで、自分自身の戦争体験をオーヴァーラップさせながら書かれた小宮曠三の30頁に及ぶ力のこもった巻末解説は、ナチスに帰結するプロシア軍国主義の歴史を振り返りつつ、その中でレッシングの果した啓蒙的役割を浮かび上がらせようとするもので、ちょっとしたドイツ文学小史といった読み応えがあった。

プロテスタントの国ドイツではカトリックはマイノリティで、カトリックだったレッシングもそのことで大分苦労したらしい。レッシングのもう一つの傑作である『賢人ナータン』は、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の三つの宗教の抗争をより高い「寛容」の見地から解消しようとする戯曲だけど、こういう戯曲を構想したのも、レッシング自身が宗教的マイノリティだった体験に由来するのかもしれない。

たとえば、カール・シュミットやマルティン・ハイデガーもカトリックである。近代ドイツにおいてカトリックであることの意味、これは今後意識したい。

レッシングの著作は、既読の『賢人ナータン』の他に、『エミーリア・ガロッティ ミス・サラ・サンプソン』と『ラオコオン』を持っているので、続けてそちらも読んでみようと思う。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する