mixiユーザー(id:1737245)

2020年07月11日20:50

59 view

スプリングスティーンにまつわる「あさはかな誤解」

フォト


80年代におけるブルース・スプリングスティーン体験をモチーフにした青春ロック・ムーヴィー『カセットテープ・ダイアリーズ』が公開中で、『ボヘラプ』ほではないけど、洋画・洋楽不毛の地である日本でも、そこそこヒットしているみたい。

映画『ハイ・フィデリティ』の原作や映画『ブルックリン』の脚本で知られるニック・ホーンビィに『ソングブック』というエッセイ集がある。これは、ホーンビィの好きな曲をチョイスして気の向くままに語られた本で、ちょっと村上春樹の『意味がなければスイングはない』に似た一冊である。

ホーンビィは1957年生まれのイギリス人で、ツェッペリンやパティ・スミスといった、70年代初期のハードロック・ブームから70年代後期のパンク・ムーブメントあたりを原体験としている世代らしいアーチストの楽曲が『ソングブック』でも取り上げられている。

そんなホーンビィの『ソングブック』で一番はじめに選ばれているのがスプリングスティーンの、それも「サンダーロード」なのである。なんでも、「サンダーロード」こそ彼が人生で最も多く聴いてきた曲なのだとか。スプリングスティーンを好きといって、「ボーン・トゥ・ラン」でも「ボーン・イン・ザ・USA」でもなく、「サンダーロード」をフェイヴァリット・ソングに挙げる時点で、僕はホーンビィと心の友になれると確信した。

「サンダーロード」の何がそんなに素晴らしいかは、語り出すと長くなるのでここでは詳しくは割愛するけど、ホーンビィが炯眼にも指摘しているように、この曲が「青春そのもの」を歌ったというよりは、「青春の終わりの瞬間」を永遠化していることが、決定的にこの曲を特別なものにしているように思う。青春に捧げられた挽歌。そしてすべての人間は、20代以降、ある意味「青春の終わり」を生き続けるのである。そのことを、「サンダーロード」はこの上なく見事に捉え、表現している。

ホーンビィが「サンダーロード」について語っている中で特に興味深かったのは、次の箇所。

「どうして多くの人が彼をマッチョで右翼でバカだと思っているのかは、理解できない――この手のあさはかな誤解は、ほとんどデビュー当時からずっとスプリングスティーンにつきまとってきたが、そういうふうに言っているのは、自分ではかしこいと思っていながら実際はどんな時代のスプリングスティーンよりずっとバカな人たちだ」(ニック・ホーンビィ『ソングブック』)

スプリングスティーン最大のヒット曲が「ボーン・イン・ザ・USA」であるためか(しかしこれも単純なアメリカ讃歌などではなく、ちゃんと歌詞を読めば、ほとんど三島由紀夫の「英靈の聲」にも通じる、祖国へのラジカルな「憎悪愛」に貫かれた歌であることがわかる)、日本でもいまだに彼を「マッチョで右翼でバカ」と思っている人も少なくないようだけど、それは言葉の壁の問題ではなく、英語をネイティヴとする人たちの間でも蔓延している偏見だということが、ホーンビィの記述からは窺える。英語圏ですらも誤解されているスプリングスティーン。

なぜ彼がその手の誤解にさらされ続けるのか。初期の頃からの彼自身の「あんちゃん風」のキャラ作りのせいもあるのだろうけど、アメリカ(及び英語圏)における「リベラリズム」を考える際にも、スプリングスティーンに対する「誤解」は興味深い視角を与えてくれそうな気がする。

何しろ、『カセットテープ・ダイアリーズ』のヒットを機に、特にその歌詞の秀逸さに多く人が触れて、スプリングスティーンへの「あさはかな誤解」が少しでも解消されるといいのだけど。



1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する