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2019年01月05日06:27

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今ごろ初めて見ましたが、ラストシーンには驚きました。寺山修司脚本・監督「田園に死す」(1974)。

1月11日に、フォーク・レジェンドである三上寛さんとトークショーを行う予定ですので、寛さん出演映画を見直しています。そしたら同郷の寺山修司作品に出ているのに、その作品を見ていなかったことを思い出し、録画してあったDVD−Rを引っ張り出しました。やはり気になる作品はできるだけ録画しておくに限りますね。

物語は、中学生の“私”(高野浩幸)が主人公。下北半島の恐山に近い寒村が舞台で、出征する人々や訪れているサーカス団、美人の義姉(八千草薫)などが登場します。40分ほどたって、それらが映画作家である大人の“私”(菅貫太郎)の映画だと分かる。サーカスと言い、幻想的な描写と言い、自伝的な内容と言い、フェデリコ・フェリーニの「81/2」を意識させますが、単なるパクリを越えて寺山色が濃厚なところが面白い。

公開当時は、“パクリだ”と判断してパスしていたのですが、今見ると似た着想の映画がごまんと作られていますから、あまり気になりませんでした。そしてアナログ手法(しかない時代です)で着色した画面も、なかなか面白く思えます。カメラがパンすると、着色部分がそのまま残っているという、今では考えられないグーフも、それがスタイルだと言える時代だったのです。

で、三上寛さんは最初、フォークシンガーという感じで熱唱するシーンがインサートされ、後半には津軽半島と下北半島について語ります。そこで、“下北半島は鉞(まさかり)の形をしていて、津軽半島は脳天の形をしている。その脳天の真ん中で生まれた自分を、鉞は真っ二つにするんだ”みたいなことを語っています。これ、いいわぁ。

冒頭に寺山修司の和歌がいくつか述べられ、それらも僕の感じている青森県というイメージを増幅してくれ、とてもいい感じでした。寺山脚本による篠田正浩作品が、ときどき概念丸投げみたいな印象でキツかったのですが、この作品は概念よりも具体的なイメージが強くて好ましい。←でも公開当時の僕には無理だったかも。

そしてラストシーンがみごとです。今村昌平が1967年に「人間蒸発」でやったラストシーンと類似しているけど、あちらこそ“概念”でした。それはそれで見事だったけど、今回のラストシーンは、場所が場所だけに“ようやった!”と感心してしまいました。

この映画はimdbにも記載されていて、1000人超が得点を入れてます。80%以上が7〜10点を投じているのに、少数派が1〜6点を投じているため、平均点として7.9です(2019年1月5日午前6時現在)。面白いのは60歳超の平均点が6点台で、18歳未満の得点が8点というところ。僕なら逆だったろうな。

八千草薫と新高恵子が“華”という扱いですが、ご両名ともアラフォー。今の僕から見ると“若くて美しい”わぁ。空気女を演じる春川ますみ(彼女もアラフォー)もいいですね。“空気女から空気を抜けば?”という問いかけに、“ただの女だ”と言われてます。これが今村作品の春川ますみへとイメージが飛んでいくわけで、今なら楽しい。

時代と共に作品は変化するけど、より印象が深くなるという作品は数少ない気がします。単純に僕が“成長した”だけの話かもしれませんけどね。
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