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2016年05月01日23:10

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メーデーに降り注ぐ札束



今日はメーデーだったけど、メーデーといって思い出すのは、映画『太陽を盗んだ男』。
この映画は僕の最も好きな邦画で、子供の頃からもう何回観たか分からない。

簡単に筋を紹介すると、

「中学の理科教師が東海村を襲撃してプルトニウムを強奪して原爆を作って日本政府を脅迫し、ナイターを延長させたり、ローリングストーンズを呼ぼうとした挙句、最後に東京の真ん中で原爆を爆発させる」

という話である。ニヒリズムの表現として、これ以上の映画を僕は知らない。

『太陽を盗んだ男』の監督・長谷川和彦は、広島出身で、自身胎内被爆児であり、『太陽』の他に中上健次原作の『青春の殺人者』を撮っているだけで、いまでは室井滋のヒモとして生計を立てているらしい。二本の映画を撮っただけで伝説的映画監督となっているという、少しサリンジャーにも通じる、その存在自体がすでにしてもう一つの映画のネタになりそうな人物である。

見せ場の連続の『太陽を盗んだ男』だけど、金銭的に追い詰められた主人公が、警察に5億円を要求し、その受け渡しが行われるのが5月1日、つまりメーデーなのである。主人公と警察の駆け引きが色々行なわれ、結局最後に、メーデーの労働者のデモ行進の上に、渋谷の東急の屋上から5億円の札束がばら撒かれることになるのだけど、この設定が本当に皮肉が効いていて、僕は大好き。それこそ、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』の札束が降り注ぐ劇場のシーンに匹敵するカーニバル的な場面だと思う。

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メーデー自体、そもそも古代ローマの五月祭(ワルプルギスの夜)に由来する、異教的・カーニバル的な習俗がモダナイズされたものなのだそうである。長谷川和彦に、『太陽を盗んだ男』を現代日本版の「ワルプルギスの夜」の表現にしようという意図があったかどうかまでは分からないけど、核兵器という現代の絶対的存在の威力が労働者たちの上に札束を降り注がせる――という場面の強烈なアイロニーには、左翼も右翼もともに笑い飛ばすアナーキーな奔放さが漲っていて、何度観ても痺れる。

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