２０１５年１２月号より。
また夏は来る くるけれどこの夏のたった一度を文箱に仕舞う 鶴田伊津
…２句の「来る くるけれど」の一字アケによる句割れがいい感じの韻律を生んでいる。また夏は来るけれど、この夏、たった一度しか届かなかったあのひとからの手紙…、という意味が、いくつか言葉が省略されていながらすんなり伝わって、技ありの一首だ。「文箱」という古風な語もうまい。もし、３句以下を例えば「この夏のたった一度の君からの手紙」のようなかたちにしたら、ひと昔前の青春詠のような雰囲気の歌になりそう。「文箱」によって一首はそうした域から離れ、しっとりとした味わいを帯びている。
老いびとの三人四人はただ呆と座しおり一階「ふれあい広場」 宮田長洋
…公民館、図書館、あるいは大型店の類か。片隅に休憩用のベンチをちょこっと置いて、たぶん飲み物の自販機ぐらいはあって、そこへとってつけたように「ふれあい広場」などという名前を付ける。「ふれあい」という語は、こうした風潮によってほんとうに減価してしまった。老いびと数人、ぼお〜っと座っています、良きふれあいです、という批評の歌。いかにも宮田さん…、と思った。
いつもいつも喧嘩に負ける猫を抱きもの言わぬまま抱かれる猫は 黒��聡美
…上の句の能動を下の句は受動にしてリフレインしている。ただそれだけと言えばそれだけの歌ながら、愛すべき猫を抱いているわれの心情と体感がよく伝わる歌。「いつもいつも喧嘩に負ける猫」は一連１首目の「黒崎ミーちゃん」だろう。結句末尾「は」は詠嘆を表わす終助詞、それもごくほのかな詠嘆、と読んだ。３句末尾「抱き」の連用形で下の句へ繋いだのもうまくいっていると思う。
たっぷりと中身の入る目薬の蓋のあかぬは逆まわしゆえ 大矢信夫
…なんともすっとぼけた詠みようの一首で、思わずクスッとしてしまった。作者を知っていると、あののんべえのオッサンがこんな呆け歌を…、と思ってよけい可笑しい。しかしこの歌、とぼけているようでありながらよく考えられて作られている。もし、逆まわしにしたゆえに目薬の蓋があかなかった、という語順だったら、事後的判断を言っただけの歌になるが、この歌では、あれ？ あかないぞ、どうしたんだろう？ ははぁ、蓋を逆まわししてたんだわ（苦笑）、という顛末の実況風の語順になっているところがうまい。目薬だというのに「たっぷりと…」というのもそこはかとなくおかしい。
飛行機の窓から見える整備士は小雨の中に深く礼せり 宮嶋祐子
…見過ごしてしまうことの多いであろうシーンを的確にとらえた一首。僕はこのような光景を見たことがない。先ず、飛行機の窓際の席に座っていなければ見ることができないだろう。似たようなシーンとして、新幹線の折り返しの時の車内清掃のひとたちが、限られた時間内での仕事を了えて車輛を出る時に一礼しているのは見たことがあった。飛行機の整備士は高度な技量が求められる仕事で、資格検定も厳しいと聞いたことがある。整備を終えた機が客を乗せて離陸用の滑走路へ向かう時、かれらは小雨の中であってもそれを見守り、一礼をもって見送る。記録するものとしての短歌の働きがよく活かされている。「礼」は「いや」と読むのだろう。
今日よりは昼がみじかくなりてゆく来る春のため球根植ゑる 佐藤綾華
…昨日は冬至だったが、これは夏至の歌。夏至はたいてい梅雨のさなかなので、昼が長いと実感する機会は少ないし、これからが夏本番というのが世間一般の季節感だが、夏至を過ぎることによって確実に地球の公転は秋から冬へ向かう。しかし、その先、再び昼が長くなって迎える春のために球根を植えるよ、というのである。手許のささやかな球根が、ある時間を経過することによって収穫を迎える。または美しく開花する。その時間を生きる者の豊かな心持ちが伝わる歌だ。《渓流に稚魚育みし記憶もちひかりを湛ふ河口の水は》（渡辺南央子）という一首を想起した。
手のひらにのせて並べる粒六錠これで固まるとろとろの僕 山田多雨
…手のひらにのせているのは何かの薬。「とろとろ」が固まるというのだから、何かメンタル系の薬だろうか。まだその六錠は手のひらにあるのだから、今のところ僕はとろとろなのである。とろとろの僕が詠んでいるので、歌自体もこんなとろとろ歌になりました…、というとろとろ感が醸し出すユーモアがいい。山田多雨さんの一連６首の５首目。２首目の《言の葉が言の葉をつれ訪れる握れば指が濡れそうな葉を》、４首目の《見られてはいけないことをしてました見ていた虫をいかがいたそう》などもいい味が出ている歌と思った。
近づいたつもりになっても遠いまま五十二階に眺める月も 魚住めぐむ
…慕わしく思うあのひとに、というような語が省略されて「近づいた…」と詠み起こされる、その省略の妙がうまくいっている。あのひとと同様、地上からではなく五十二階という高層から月を眺めれば、その分月に近づいたはずなのだけれども、まだやはり月は遠いままなんだよね、と詠われて読者は一首冒頭へ送り返される。意味としては、結句は「…月のように」という喩として受け取ってよいのだろうが、喩のかたちにせず、あの月もまた…と並列のかたちにしたところに詩情が漂う歌だ。
投光器に雨は光りてコールする我らも警察官も濡れゆく 長谷川知哲
…この号にもまた国会前のデモや集会に参加した歌、あるいは参加しなかった（が気になった）という歌が何首かあった。私は安保法制に賛成する、安倍はよくやった、という歌もあっていいはずだが、そうしたものは僕が読んだ限り一首もなかった。「短歌人」という母体の“世論”は世間一般とはやや異なっているのか。あるいはこれが現在の世間一般であろうか。ともあれ、知哲さんは《雨がちの国会前へむかひをり二泊三日のリュックを担ぎ》（一連１首目）というのだから本気である。「我ら」と「警察官」は今ここのとりあえずの役割としては位相を異にして向き合っているが、雨は双方に等しく降って、この地上に生きている者どうしとしてともに濡れてゆく、という感慨が政治的共同性の先を感じさせて、いい歌に仕上がっていると思った。「投光器に雨は光りて」は、例えば今年の８月３０日、あるいは９月１８日の国会前の記録として残るだろう。なお、この歌は今年の「源実朝を偲ぶ仲秋の名月伊豆山歌会」にて、当日提出の部、春日いづみ選・天位を授かっている（角川「短歌」１２月号２１８頁参照）。
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