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2014年11月25日01:19

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黄金風景2.0

僕の最も好きな太宰の小説の一つに「黄金風景」がある。

「黄金風景」は、子供の頃に散々にいじめた女中と、長じて後、東京で再会し、彼女が結婚し幸福になっている姿に打ちのめされつつ、その敗北感の中で主人公がかえって救済される話である。

これは文庫だと僅々5頁の掌編だが、知識人と民衆の和解、放蕩息子と故郷の和解、近代的自我の「他者」との邂逅による救済、主観から客観への解放――といった太宰文学の主要モチーフを凝縮し、一編の散文詩へと昇華したような佳品である。太宰という人がどのような小説家であったのかを手っ取り早く知りたいのであれば、「思い出」「善蔵を思う」「富嶽百景」「佳日」「津軽」「散華」「浦島さん」「親という二字」、そして「黄金風景」を読めばいい。これらの作品を読んで何も感じるもののない人は、太宰とは無縁と諦めていいだろう。

今夜(24日の夜)、十代を過ごした福岡で、小学・中学時代の旧友の結婚式が挙げられた。その様子がフェイスブックで逐一「実況」されているのを見ているうちに、ふと、「黄金風景2.0」というフレーズが思い浮かんだ。

実名主義のFBは、現実における古くからの知り合いとのネットワークが活性化し易いSNSのようで、僕のFBにおける「友人」は大半地元(福岡)の友人である。つまり、僕にとってのFBはネット時代の日常化した「同窓会」といった様相を呈している。その流れの中での、今夜のFB上の結婚式の実況中継だった。インターネットがここまで大衆化し、SNSというメディアがここまで発展していなければ、今夜、僕は彼の結婚式にネット越しとはいえ「リアルタイム」で参加することはできなかった筈である。

福岡は、十代の大半を過ごし、また現在実家があるとはいえ、生れ故郷というわけではないので、僕にとっていま一つどういう感情を抱けばいいのか分からない土地で来ている。福岡は、僕にとって、異郷なのか故郷なのか。しかし、そんなどう付き合えばいいのか分からないできた福岡という土地が、今夜、FB越しで中継されている旧友の結婚式の様子を見ているうちに、異郷であろうと故郷であろうと、そんな瑣末事を超えた次元で、一つの懐かしい土地であることには変わりない――そんな風にじんわりと感じてしまった。もしかしたら、これは僕にとっての「福岡との和解」だったのかもしれない。WEB越しの、「黄金風景」の発見。

最後に、太宰の「黄金風景」の文章を引用しておこう。

「負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える」(太宰治「黄金風景」)
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