11月3日、明日香に行きました。この日の目的は「奈良県文化財研究所飛鳥資料館」と、前回行けなかった「くつな石」です。9時に万葉文化館の駐車場に車を停め、後は歩きです。この日は天気も良く、大変気持ちの良い日でした。鎌足誕生地横の大原神社裏の竹
脳天大神で息子の学業成就のお守りも購入しました。そして鴨うどんのやっこで葛湯も購入しました。これで10月25日の吉野山紀行は終りです。この日の歩数は12147歩です。
脳天大神でまたまた数珠レットを購入しました。頭脳明せき念珠。そろばんの玉に似た形です。そしてお下がりのゆで卵です。ありがたくいただきました。
七曲りの桜が望める昭憲皇太后立碑の反対の斜面に芭蕉の句碑があります。 「花ざかり山は日頃の朝ぼらけ」 この石碑は文化14年(1817)に建てられたもので、吉野山にある芭蕉句碑の中で、最も古いものです。11時39分に嵐山の大駐車場に到着。帰途につきます
いよいよ帰途に付きます。せっかくなので修理中の仁王門をくぐって帰ります。蔵王堂前を通って仁王門へ行く途中。石塔を見上げると石塔の中に役行者が。
勝手神社で、Uターンする事にしました。本当は如意輪寺へ行って、初めての拝観をするつもりでしたが、疲れてしまったので帰宅する事にしました。とりあえずいつもの店で葛うどんを食べようと入りました。しかし葛うどんはやってなく、鴨うどんセットを食べま
境内にある折口信夫の歌碑。『吉野山 さくらさく日に もうで来て かなしむ心 人しらめやも 迢空』この歌碑は折口信夫の真蹟のまま刻んである。
10時37分に勝手神社に帰って来ました。吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入 口にあるので山口神社ともいいます。文治元年(一一八五)の暮れ、源義経と雪の吉 野山で涙ながらに別れた静御前は、従者の雑 色男に金銀を奪われ、山中をさ迷っていると こ
勝手神社からひたすら歩く。本当にあるかどうか、道が間違ってるかも、と思いながら、あのカーブを曲がって墓がなければ引き返そう、と何度も思いながら。勝手神社を10時3分に曲がり、10時19分に墓に到着。仁天門で大塔宮の身代わりとなった村上義光が
以前村上義光のお墓はお参りしましたが、子息の村上義隆のお墓へは行った事がありませんでした。村上義隆の墓が勝手神社の下の道を下るとあるという事を最近知り、行ってみようと思いました。10時3分、勝手神社の鳥居を右へ下りました。
一目千本。ここが一目千本です。しかし今は秋。桜の紅葉の一目千本です。そしていよいよ拝観しようと思っていたら、ぞくぞく人が来て、拝観して行く。観光バスが上がって来た様です。今回はパスします。また今度拝観します。
今回の目的の1つに吉水神社の拝観があります。今まで何度も来てるのに、未だに拝観した事なかったのです。参道の途中に役行者が祀られてます。???役行者が紙になってます。前はちゃんと像があったのに。何故紙?
当院の開基も、修験の吉野山にふさわしく、役行者という伝承をもっているので、千三百年の歴史があるわけです。奈良や比叡山など古い霊地霊山には、東南院あるいは東南寺という名の寺院があるのが普通ですが、これは、開基または始祖といわれる人が、その霊地
9時52分に東南院に到着。東南院の境内にお稲荷様があります。赤くないのでお稲荷様っぽくはないですが、狛狐が愛らしいです。
金峯山寺境内には謎の領域があります。元は神域だったのかな?社があったのか?お寺の何かが建っていたのか?それにしても放ったらかしになってかなり久しい様です。
金峯山寺の境内には3つの稲荷社があります。何故3つも?気になるところです。吉冨稲荷大明神、久富稲荷大明神、後醍醐天皇導之稲荷社です。前は不思議なジャラジャラ鈴が付いてましたが、今はありません。
金峯山寺本堂「蔵王堂」正面の石柵で囲まれた中に4本の桜の木が植えられています。ここは1333年(元弘3年)正月16日後醍醐天皇の第2皇子、大塔宮護良親王が北条幕府の六万余騎の大軍に攻められ、吉野山に立て籠もった時、蔵王堂を本陣とし、落城に際
金峯山寺は吉野山のシンボルであり修験道の根本道場です。金峯山とは吉野山から山上ヶ岳(大峰山)にいたる山々の総称で、“金のみたけ”という意味。山上ヶ岳にある大峰山寺への玄関口の役割を持っています。創立年代は不明ですが、その昔、役行者が金峯山を
9時37分、金峯山寺へ上がって来ました。境内に天満宮があります。威徳天満宮(県指定文化財)この神社は、天満神社ともいい、菅原道真を祭神としています。社伝によると、平安時代の天徳三年九月五日に鎮座したとされています。この神社の由来は、今から千
脳天大神・龍王院は世界遺産・蔵王堂の西側にある神社。ここで崇められている「脳天大神」は首から上を守る神様として知られる。その為、頭部に怪我や病気を持つ人が良くお参りする他、受験シーズンには合格祈願に多数の人が訪れる事でも有名。本殿は谷下にあ
ここは神社なのかお寺なのか分かり難い所です。例に漏れず役行者も祀られています。そして何故か狛犬ならぬ狛蛙。若いお坊様に聞いた所、初代館長が蛙好きだったとか。御神体は蛇なのに。
9時11分、脳天大神に到着。1月に訪れた時はお百度参りに数十人居たが、この日は少ない。とりあえずお礼参りをし、お守りと数珠レットを購入。すると中から、御下がりです、とゆで卵を頂きました。
金峯山寺から脳天大神へ下る途中には幾つかの小さな社がある。その中の1つに岩峯大神がある。脳天は、終戦後、当時の金峯山寺管長、五條覚澄大僧上の夢枕に「初子」と名乗る三十路の美女が立って、暗り谷、地獄谷と呼ばれている蔵王堂の西にある滝に「大峯山
南朝妙法殿が珍しく開いてたので、参拝しました。後醍醐天皇の行宮となった実城寺(金輪寺)跡に建立された、南朝の四天皇他の霊を祀ります。そのすぐ横の建物に作りかけの木造の仏様が展示されてました。