前の春日神社から少し北へ歩きます。既に見えてましたが、そこにも春日神社があります。11時17分に前の春日神社を出て、11時20分に次の春日神社に到着しました。創祀・由緒など不詳ですが、室町時代には祀られていたようです。横の池は藻が繁殖してま
前の春日神社から北へ歩く。11時1分に前の春日神社を出、11時14分に次の春日神社に到着。分かりにくいですが、ここも春日神社です。正面の空き地に土筆がびっしり生えてました。
人麿神社は、万葉歌人で三十六歌仙である柿本人麻呂を祭神とする神社です。石灯籠と狛犬は明治14年に奉献されています。普段は樹木に覆われた静かな境内も、毎年5月4日に行われる「すすつけ祭」の当日には元気な子どもたちの姿と歓声でいっぱいになります。神
10時48分、玉津嶋神社のすぐ北隣、人麿神社に到着。重要文化財、人麿神社本殿、一棟、昭和五十四年五月二十一日指定。神社の創立は明らかでありませんが、本社は新庄町の柿本神社から分祀されたと伝えられ江戸時代以降には、人丸大明神・柿本人麻呂大明神
少し北へ歩き、10寺45分、池のほとりに小さな神社を発見。これが玉津嶋神社の様です。「神社南方地、地黄池(桜池)の傍らには若宮社と称する小祠がある。その西隣には浅草寺(聖観音宗)本尊があったと伝える観音堂があった。」とあり、『西国名所図会』
小屋に五明山・大信寺の看板がある。その裏に小さなお堂と広い敷地。でもここは五明山・大信寺という訳ではなさそう。元は何の土地だったのだろう?
この神社はスサノオ神と入鹿神を祭ってます。スサノオ神は須佐神社や須賀神社、出雲大社では素鵞社というのもあります。一説には蘇我氏はスサノオ神の末裔なんて話もあります。もしそうだと、渡来系氏族ではなく、由緒正しい一族という事になります。まあ、ス
神社の伝えによると、 乙巳の変(645年6月12日)で蘇我入鹿が飛鳥板蓋宮で中大兄皇子や中臣鎌足らに倒された時、その首が小綱町に飛んできたのを祀ったと言われている。入鹿は首を斬られたので、入鹿神社が首から上の病に霊験あらたかという信仰がある。頭痛
入鹿神社は廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社であったと伝えられる。祭神は素盞鳴尊と蘇我入鹿の両柱を合祀している。素盞鳴命と蘇我入鹿の木造坐像を神体とする。現在の橿原市周辺は蘇我氏ゆかりの
10時26分に入鹿神社に到着。「全国で唯一蘇我入鹿公をお祀りする神社」とあります。首から上に御利益があるそうです。乙巳の変で首をはねられ、ここまで飛んで来たとか。しかしさすがに板葺きの宮からここまでは飛ばないでしょう。飛鳥寺やもうこの森へ飛
10時6分に天高市神社に到着。新興住宅街の中にあった。というより、新興住宅地が後から出来たのでしょうが。本神社の由緒沿革については、詳かではないが、『三代実録』によれば、第56代清和天皇の御代、貞観元年(859年)正月27日に、大和国天高市
9時39分、宗我坐宗我都比古神社に到着。境内は意外と明るい。式内宗我坐宗我都比古神社は大同元年(八〇六)大和国内に神封三戸を寄せられ(新妙格勅符妙)、天安三年(八五九)一月二七日に従五位下より従五位上に昇叙、同六年六月十六日には正五位下とな
曽我川緑地の曽我川の土手部に上海井戸跡というのがありました。「上海井戸」の今昔ここは、古来より此の方、米作りの灌漑用水とし絶えることなく湧水として、農民を育んでくれた「上海井戸」の跡地です。先人達は、この井戸を「命の恩人」と称して大切に守り
2015年3月22日に大和高田市、橿原市周辺の神社を回りました。予定では曽我川緑地を起点に宗我坐宗我都比古神社、天高市神社、入鹿神社、玉津嶋神社、人麿神社、春日神社、岩神社、磐余神社を回ります。かなり迷いながら、予定より大分遅れて9時26分
11時43分に高鴨神社に戻り、せっかくなので嫁号のお守りシールを購入しました。このヤタガラスはフロントバンパーに貼りました。因みにリヤウィンドウには熊野本宮大社のヤタガラスを貼ってます。
高鴨神社へ戻ります。11時32分に風の森神社に到着し、11時34分に発ちました。帰りに別の道を通りました。途中、道標を発見。
境内に天誅組の石碑があります。縁があるのかな?お墓の方にはかなり古そうな墓石がありました。討幕明治維新の魁天誅組布陣百二十年記念初秋の爽やかな、風が吹き抜ける時、吉村虎太郎の率いる天誅組第二隊の藩士は到着し陣を布いたのである。そして、鎖国日
本社は、御所市大字鴨神、旧高野街道 風の森峠に位置しています。御祭神は、志那都比古神をおまつりしています。志那都比古神は風の神であり、古事記、日本書記には、風の神に因んだ事柄が記載されています。又、葛城地方は、日本の水稲栽培の発祥の地ともあ
石段を上がってみるとお堂とお墓。その奥に更に石段があり、それを登ると風の森神社がありました。小さなお社です。
11時8分に高鴨神社に到着し、11時18分に発ちました。これから風の森神社(志那都彦神社)へ向かいます。はっきりした場所が分からないので探しながら歩きます。振り返ると金剛山、葛城山が見えます。しばらく歩くとそれらしい石垣が見えました。
境内に沢山のさくら草があります。高鴨神社のさくら草は有名です。でもこの日はまだ3月なので、花はまだまだ早かったです。