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2014年11月29日00:00

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村上義隆の墓

勝手神社からひたすら歩く。
本当にあるかどうか、道が間違ってるかも、と思いながら、あのカーブを曲がって墓がなければ引き返そう、と何度も思いながら。
勝手神社を10時3分に曲がり、10時19分に墓に到着。

仁天門で大塔宮の身代わりとなった村上義光が敵をひきつけていた際、大塔宮一行はこの隙に南院谷を抜け高野山に落ち伸びようとします。
しかし一行は途中勝手神社を右に折れ、1Km程下った所で敵に追いつかれ、今度は義光の息子である義隆が切腹し、大塔宮を落ち伸びさせました。
この村上父子の自刃があって、大塔宮は絶体絶命の危機を逃れました。
この時義隆は18歳でした。
墓は1870(明治3)年に立てられたものです。


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