閼伽井があります。前にも訪れた事はありますが、ここまでは来てなかった。仏前などに供養される水で、聖水という事ですね。前に長谷寺に行った時もありました。
五佛堂が仮本堂になっています。さりげなく覗き窓がありていて、ご本尊が拝めます。右へ回って御影堂・観月亭へ。御影堂の創建は平安時代。後村上天皇御在所時代に観月亭が東側に突き出す形で付け加えられました。
本堂(金堂)は改修中なので、五佛堂にお参りします。五佛堂が仮本堂になっています。改修工事は9年間、総額約16億5千万円の時間と費用が必要だそうです。
まず入って最初に改修中である事に気付きました。天野山金剛寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願により、当時の高僧である行基によって開かれたと伝わっています。 また、平安時代には、弘法大師の修行の聖地として知られています。その後、衰退をしますが、平安
11時59分にふるさと歴史学習館を発ち、12時14分に金剛寺に到着。金剛寺は沢山のお寺の集合体の様です。昔はもっと沢山あったみたい。敷地の中を天野川が流れています。少し歩くと巨大な楼門が現れます。
出口へ行くにはバックヤードを通って、事務所に入ります。事務所では色々な体験が出来ます。木綿も元の綿もあります。うちの子は昔ここで土笛を作りました。小学校の夏休みの宿題には良いかも。この後金剛寺へ向かいます。
資料館の出口はバックヤードを通ります。この辺が教育委員会の良い所ですかね。これらのかめは金剛寺の天野酒のかめです。金剛寺はお酒を造ってたのです。かめは信楽や備前と色々です。中には汲み取りトイレのつぼもありました。
最後は特別展示の加賀田の河内木綿です。以前河内木綿屋さんをやっていて、廃業した所から貴重な型を多数寄贈して頂いたのだとか。デザインは大体おめでたいもので構成います。鶴、亀、鳳凰、伊勢海老と長寿が基本です。布団や座布団と嫁入り道具として持って
掘立小屋の再現模型があります。でもこれって想像ですよね?実際には柱の跡しかない訳だから。あと、近くでは土器のかめ型棺おけが出土しています。
金銅の太刀や馬具等も見付かっています。かなり高貴な方がこの河内長野に居た様です。時代は更に古くなり、縄文時代へ。火焔土器やサヌカイトの石包丁等も出ています。外環状線の工事等で出てくる様です。これで行くと、もっと深く掘れば更に古い時代のものが
渡来人によって伝わった仏教とともに火葬の風習が伝わりました。市域には高向氏を始め渡来系が多かった為、いち早く仏教や火葬を取り入れたと思われます。
烏帽子形城跡が国の史跡になりました。河内名所図会に描かれた烏帽子形山を見ると烏帽子形の意味が良く分かります。でも今の山容を見ると河内名所図会とは大違いで、とても烏帽子形には見えません。
1770(明和7)年百姓が大勢で申し合わせて願い事などを企てたり、村から逃亡してはいけないことを伝えた高札。またそのような企てがあるのを役所に訴えたり、鎮めた場合には銀100枚のほうびや、内容によっては苗字帯刀も許された。1682(天和2)
寺ヶ池は大阪府河内長野市にある、江戸時代に作られたため池。この池は釣り禁止になっている。春から夏にかけて周辺の水田へ灌漑するため、池の水量は減少するが、冬に再び石川からの用水路を通じて水が流入するため満水になる。因みにこの池にはランカークラ
学習館に入るとまずボランティアのおじさんが付いてくれます。いつもではありませんが、この日は付いてくれました。ここは河内長野の歴史、出土品等を展示しています。先ずは時代の最近のものからの紹介です。それから段々古い時代のものになって行きます。河