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2014年11月29日01:17

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勝手神社

10時37分に勝手神社に帰って来ました。

吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入 口にあるので山口神社ともいいます。
文治元年(一一八五)の暮れ、源義経と雪の吉 野山で涙ながらに別れた静御前は、従者の雑 色男に金銀を奪われ、山中をさ迷っていると ころを追手に捕えられて、この社殿の前で雅 た姿で法楽の舞をまい、居並ぶ荒法師たちを 感嘆させたとう話が伝えられています。
この神社の祭神は、大山祇神、木花咲耶姫命 ほか三神で、社殿は豊富秀頼が慶長九年(一 六〇四)に改修したのが、正保元年(一六四四)十 二月に焼亡したので、翌二年に再建され、さ らに明和四年(一七六七)にまたも焼失しました 現在の建物はこの後の再建になるものです。
社殿の後の山を袖振山といって、天智天皇 の十年(六七二)大友皇子に対抗して、吉野(今の宮滝か) に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神 前で琴をかなでていると、天女が後ろの山の 上から袖をひるがえして舞いながら現れ、吉 兆を示しました。
この故事が五節の舞の起り だといわれ、芸ごとに深いかかわりを持つ神 様とされて、かつては猿楽や能が盛んに奉納 されました。

過去に2回消失していて、そして平成十三年九月二十七日、不審火により焼失して、今に到っています。
一時は焼けた建物が残っていたり、境内にも入れない状態だったりしたのですが、今は境内には入れます。
御神体は吉水神社に遷宮しています。

境内のほぼ中央にある「舞塚」。
義経と別れた静御前が追っ手に捕まり、舞をしいられ、ここで舞ったと伝わる。


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