10時37分に勝手神社に帰って来ました。
吉野八社明神のひとつで、金峯山の山の入 口にあるので山口神社ともいいます。
文治元年(一一八五)の暮れ、源義経と雪の吉 野山で涙ながらに別れた静御前は、従者の雑 色男に金銀を奪われ、山中をさ迷っていると ころを追手に捕えられて、この社殿の前で雅 た姿で法楽の舞をまい、居並ぶ荒法師たちを 感嘆させたとう話が伝えられています。
この神社の祭神は、大山祇神、木花咲耶姫命 ほか三神で、社殿は豊富秀頼が慶長九年(一 六〇四)に改修したのが、正保元年(一六四四)十 二月に焼亡したので、翌二年に再建され、さ らに明和四年(一七六七)にまたも焼失しました 現在の建物はこの後の再建になるものです。
社殿の後の山を袖振山といって、天智天皇 の十年(六七二)大友皇子に対抗して、吉野(今の宮滝か) に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神 前で琴をかなでていると、天女が後ろの山の 上から袖をひるがえして舞いながら現れ、吉 兆を示しました。
この故事が五節の舞の起り だといわれ、芸ごとに深いかかわりを持つ神 様とされて、かつては猿楽や能が盛んに奉納 されました。
過去に2回消失していて、そして平成十三年九月二十七日、不審火により焼失して、今に到っています。
一時は焼けた建物が残っていたり、境内にも入れない状態だったりしたのですが、今は境内には入れます。
御神体は吉水神社に遷宮しています。
境内のほぼ中央にある「舞塚」。
義経と別れた静御前が追っ手に捕まり、舞をしいられ、ここで舞ったと伝わる。
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