金剛寺に戻る際に、遺跡を発見しました。というかきっとこの辺全てがそうなのでしょうが。天野山金剛寺には、今の伽藍に加えて多くの頭塔などの建物がありました。そのため、この建物工事に先立ち河内長野市教育委員会が発掘調査を行いました。その結果、石組
河内の古刹である真言宗御室派大本山、天野山金剛寺の山門前、国道をはさんで向い側に鎮座する小社です。山の頂に鎮座する高野神社の裏参道にあたるとされ、古文献によれば金剛寺創建の天平年間(700年代)と同時期に建立されたと推測されます。このお社に祀
金剛寺から屋根付き橋を渡って、道路を渡ると神社があります。前からあるのは知ってましたが、こうして訪れるのは初めてです。
奈良時代に行基が開創し、弘法大師が密教の修行をしたと伝えられるこの寺は、“女人高野・天野行宮”の名で知られ、建築物や寺宝には多くの国宝・重要文化財があり、特に室町時代に造られた庭園は一見の価値があります。また、春は桜、秋は紅葉と四季を通じて
光厳天皇分骨所の横から山に入る道を発見。入ってみると、お地蔵様?いや、これはお遍路か!?とりあえず進んでみると間違いない。折角なのでもうちょっと登ってみる。おや、番号が段々小さくなっている。どうやら逆に入ったらしい。しかし今更戻れないので行
境内に光厳天皇分骨所があります。分骨所?ここは天皇陵ではないんですよね?天皇陵は京都府北桑田郡京北町ですよね?北朝の初代天皇である。1352年2月、足利氏の内紛によって勢力を盛り返した南朝軍の京都奪回の時に、光明・崇光両上皇とともに拉致され、こ