檜前の馬牧大宝元年(七〇一)、大宝律令で厩牧令が出され、全国に牛馬を育てる牧場(官牧)が三十九ヵ所と、皇室に馬を供給するため、天皇の命により三十二ヵ所の牧場(勅旨牧)が設置されました。東京には「檜前の馬牧」「神崎の牛牧」が置かれたと記録にあって「
柵の中に沢山の石碑があります。遠いので良く読めませんが。扇塚初代花柳壽輔略博出生、文化四年二月二十九日、芝・新明にて出生。六才、文政九年、四世西川扇蔵の許に入門し舞踊修行の道に入る。八才、文政十一年、七世市川団十郎の鑑識に叶い市川鯉吉の芸名
浅草神社のHPより浅草神社の由緒推古天皇の三十六年三月十八日のことでした。漁師の桧前浜成・竹成兄弟が隅田川で漁労に精を出していましたが、その日に限り一匹の漁もなく網にかかるのはただ人型の像だけでした。幾たびか像を水中に投げ捨て、何度場所を変
被官稲荷神社のHPから創 建安政元年、新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき、山城の伏見稲荷神社に祈願したところ、その効果あって病気は全快しました。そして、同二年、町の人がお礼の意味も込め、伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請しました。その
浅草から地下鉄を乗り継いで半蔵門のホテルまで。ここで2年に1度のいとこ会があります。今回は東京のいとこが持ち回りです。
姥ヶ池は、昔、隅田川に通じていた大池で、明治24年に埋立てられた。浅草寺の子院妙音院所蔵の石枕にまつわる伝説に次のようなものがある。昔、浅茅ヶ原の一軒家で娘が連れ込む旅人の頭を石枕で叩き殺す老婆がおり、ある夜、娘が旅人の身代わりになって、天井
隅田川渡船の一つに、「山の宿の渡し」と呼ぶ渡船があった。明治40年(1907)発行の「東京市浅草区全図」は、隅田川に船路を描き、「山ノ宿ノ渡、枕橋ノ渡トモ云」と記入している。位置は 吾妻橋上流約250メートル。浅草区花川戸河岸・本所区中ノ郷瓦町間を結ん