あるものごとや言葉に打たれる、肚に落ちて理解できるとは、それが指す対象が未知だった、その価値が分かりやすく、有無をいわせぬほどの素晴らしさを持ったものだった、などのときであろう。敗戦期の日本人にとり、民主主義や平和憲法がまさにそういうものだ
”何々性”というのは、あるものの水準を、他のもの、あるいは同じもののべつの時期との比較で、数値で表示する抽象概念である。A工業のx商品の17年度の生産性はB工業より低い、あるいは一作年より昨年は、2.3ポイント低かった、というように。だから、
田部京子の演奏の最大の特徴は、その作り出す音楽が、骨太の情念に貫かれていることだ。日本人女性のピアニストのほとんどは情感を訴求しようとしているが、その情感は、率直にいえば、ただの感傷に過ぎない。またその美は狭小な箱庭的美意識にとどまり、つま
このミクシィをはじめ、SNSのようなサブカルでは、食べもの、ペット、お笑いなどの軽い話題が、毎日、花盛りである。ちょっと覗くだけで、そういう話題の投稿には、イイネ!やコメが多く寄せられていることが、分かる。だから、世界の辺境への旅や、これまで
下記の15/3に書いた『ヴァイツゼッカ―演説の欺瞞』を、参照ください。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1939835231&owner_id=4541837
世の中というものを考えるには、大衆という存在を考えざるを得ない。世の中とは、実質的に、大衆のことだからだ。まあ、政策を決めるのは政治家で、政令を決めるのは官僚だ。この2つは大衆ではないが、その2つで実際に動かされ、また戦争を筆頭に、実働部隊
現在90歳の私の母親は、さいたま市のマンションで66歳の妹と2人で暮らしているが、幸いまだ、寝たきりや介護が必要な状態にはなってはいない。お陰様で、ピンピンしている。だが、年齢にくらべれば相当アクティブで食欲旺盛だったとはいえ、やはり、明ら
先週土曜の夜9時からのドキュメンタリーだった。犯人の植松聖が各方面に獄中から投稿したり、このドキュメンタリー制作者にも面会で繰り返し述べている、あの「精神障害者は周囲と社会に迷惑をかけるだけの存在で、生きている資格も意味もない。本人に心はな
道長は、権力と金力の2つに恵まれていた。だがその2つは、偶然得られるものではない。その2つを得るためには、宮廷と貴族たち全体の人脈への知識に立つ、押したり引いたりの駆け引き力、敵味方の人物の能力を正確に見抜く眼力、権力を維持するための、必要
近代のヨーロッパで長編小説が大量に書かれるようになって以降、そこで書かれた物語の背景は何で、モデルはいるのか、それはどんな人物かということに、読者の視線が注がれるようになってきた。単なるゴシップ的詮索といってしまえばそれまでだが、作者とその
ダメンズ、というものがある。ダメなメンズ、つまりダメ男であるが、生活力=家庭を支える金稼ぎ能力の欠如や、異性へのだらしなさや自己中心的で責任感欠落などの資質を指すその種の男を、なぜか好きになるタイプの女性がいるのだという。ダメンズ・うぉーか
古代とは、霊魂の時代である。それは、そこここに霊魂が遍在していたという意味ではない。そうではなく、人びとの日々の立ち居振る舞いなどの行動、あるいは心中に思い浮かべることなどのすべてと、霊に働きかけるということが、べつのものではなかったという
昨夜の牡丹灯籠は、息詰まる一夜だった。開演が7時で、終了が9時15分。ほぼ半分を終えた時点で20分の休憩を挟んだものの、全編120分の長丁場を、白石加代子が、たった一人で演じ切った。その滑舌、微塵もたるみのない精神の気魄、600人強の満員の
今日の夜は、白石加代子の語りで、三遊亭圓朝の『牡丹灯籠』を聴きに行く。数年まえに終了したあの『百物語』のシリーズの、アンコール上演なのだという。終わった後も、これへの強い要望が途絶えなかったことが、これで知られる。奇跡のアンコール!と銘打っ
何しろバースデイが7月20日と真夏で、実際に猛暑のことが多く、その当日に行くことはどうしても少なくなる。季節をずらし、秋に行くことが多いのだ。だが今年は、当日に近いこの三連休に赴いた。その場所は、日本海の魚介を中心に庄内平野と出羽三山の豊か
39歳からの一年間、ニューヨークのある大学に通っていた。そこのある授業でディベートの時間が設けられ、「知性について」のテーマだった。私はそこで、「知性とは何か」と問題意識を立て、それは、センシティビティ=繊細さの理解のことではないか、と論じ
紫苑の花は、嬉しき事あらん人の植えてみるべきか。嘆くことあらん人は、植うべからざるなり。これは、高橋和己の『我が心は石にあらず』のなかで、部屋にその紫苑の花が活けられているのを見た人物が、こういう言葉がありますねと、つぶやく言葉である。昨日
吉永小百合向田邦子藤真利子小川真由美小郷知子上記は、丸谷才一の長編小説の『輝く日の宮』を映像化するとしたら、そのヒロインに誰が良いだろうかを、私が空想したものだ。このヒロインは女性国文学者の杉安佐子。バツ一の30代後半くらい。知性と雰囲気を
ずっと京都に住んでいるという甲南大の田中貴子教授が、こう書いていた。先日の大阪地震のとき、東京の能舞台で、ある講演をしていた最中だった。音が良く伝わる構造の能舞台ということもあったためか、その地震の揺れが敏感に感じられた。そのときの私のあま
前回は、本書の第一章の題名である「恋と密教の古代」の内容について書きたかったのだが、その全体は書けず、恋だけで終わってしまった。今回は、「密教の古代」を、書く。密教とは何か。それは勿論、直接的にはインドで原始仏教のなかから紀元前後に生まれて
丸谷才一と山崎正和の連続対談を一冊にまとめた『日本史を読む』という本がある。98年刊。丸谷と山崎は英文学、劇作家という本来のそれぞれの専門だけにとどまらず、非常な博学多識であることで知られる。その2人が、古代、院政期、後醍醐の異形の王権時代
車は今、レバノン山脈の深い霧に包まれた地域を静かに走っている。 われわれの車以外、ほかには全く自動車の姿はない。 私はある日ホテルを出て、例のタクシードライバーを雇い、レバノン辺境にあるバールベック神殿遺跡に向かったのだ。 地中海岸のベイルー
丘の上から地中海を望むベイルートのリッツ・カールトンのバーは、二階のレストランの端にあった。 ある日の夕刻、いつものようにマティーニを飲もうとそのバーに向かっている時、何だかいつもと様子が違うことに気付いた。 レストランの端からは、吹き抜けの
レバノンのベカー高原のある一角で、シリア軍の武装兵士に拘束され、地下牢に閉じ込められたのは、バールベック遺跡からの帰路の途上だった。86年夏、私は、70年代はじめに結成された日本赤軍の重信房子がそれへの支持を宣言していたPFLPが最初に拠点を置
化けて出るなら、来い!弟子どもの抗議や暴動でも何でも、来るなら来い!と思っているのであろう。肚が坐ってる。こういう肝の坐った政治家は、現在の日本の政治家で、男にはいないような気がする。
ある出来ごとを映画にしてほしいというとき、そう望む人は、何を願っているのだろうか。その出来事に、国家権力との対決や暴力や叛乱を含む波瀾万丈のストーリーが豊富と思い、そういう物語を映像で見たらさぞ楽しめるだろう、と考えるからだろうか。私にはそ
中学や高校時代に、60年安保の際のブントや六月行動委員会などの行動を知るにつけ、大学に入ったらすぐ運動に加わろうと決めていた。実際は高三のころからはじめ、浪人時代も受験勉強などまったく無視していたため、二浪もする羽目になった。それで運動の中
タイ北部の洞窟に入ったまま9日間も行方も安否も不明だった11歳から16歳までの13人(25歳のコーチ1名を含む)の子どもたちが、無事だと確認された。ただ、流れ込んだ大量の雨水を避けるため奥へ奥へと逃げ、現在いるその場所は入り口からは5キロも
現在の私という人間を作ったのは、小林秀雄と吉本隆明だと書いた。この2人の自己史的共通点とは、2人とも他人の妻を奪ったことが示しているように、疾風怒濤の若年期を持っていることだ。もうひとりの私の好きな文学者である無頼派作家の石川淳。かれはそう