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2018年07月19日09:14

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牡丹灯籠と白石加代子の濃密

昨夜の牡丹灯籠は、息詰まる一夜だった。
開演が7時で、終了が9時15分。
ほぼ半分を終えた時点で20分の休憩を挟んだものの、全編120分の長丁場を、白石加代子が、たった一人で演じ切った。
その滑舌、微塵もたるみのない精神の気魄、600人強の満員の聴衆たちの集中と熱気と疲労などとの気合いとの間合いをはかりながらの、緩急と時に挟む笑いやユーモア、楽屋話などを交える円熟というしかない引いたり押したりの絶妙のその場の気の支配。
これら全体は、76歳という現在の年齢と、その背後に培われてきた百戦錬磨の場数という以外のどこからも出現してこないものと思えた。

両親と私は、東京下町の芝金杉を生地とし、その両親とも蕎麦屋、あんみつ屋という食べもの屋の家業もあって、そのことから当然落語をずっと愛している。
私の幼時までは金杉にも寄席があったらしい。私にその記憶はないもののの、ラジオでの古典落語は幼時からずっと両親とともに私も自然に聞いて育った。家族の全員が、その場限りのくすぐりだけの新作落語は好まず、志ん生、文楽、円生、正蔵、馬生あたりの本格派が、ご贔屓だった。
このメンバーたちの圧巻。何たる高峰たち。
そのうち、志ん生、円生や正蔵は、人情噺に十八番が多かった。これらの名跡が演じる高座では、怪談と人情噺のあいだに境がない。人々のたつきや立ち居振る舞い、日々の息遣い、街の喧騒、四季それぞれの光や江戸の街にも豊かにあった草花の匂いなどとおなじ地平に、その延長上に、すっと、いつの間にか、異界の怪談が忍び入ってくるのだ。この牡丹灯籠も、全体をいくつかのパートに分けたもののひとつを、円生の高座で最初に聴いたような気がする。
私が幼時に、前記のような大物たちのそれぞれの生涯における全盛時の、それらの高水準の噺を嫌というほど聞いたことは、おそらく、じぶんでも意識していない多くの「暗黙知」を、私の脳と体内の奥深くに、刷り込んだに違いない。
私の考えでは、かれらの風格ある語りと雰囲気のそれは、そこ以外からでは得られない「都市の頽廃の気」というものだったのだと思う。過ぎ去ったある時代しか醸成できなかったそれらは、現代の若手の落語家たちからは、出現しようがないものなのだと思う。

1800年時点の世界の人口ベスト3の都市は、100万強の江戸、90万の北京、88万のロンドンである。つまりこの時既に江戸は、世界最大の人口都市であった。そういう場所からしか生まれてこないものが、ある。
その筆頭が、私の考えでは、「都市の頽廃の魅惑」というものである。
江戸にはそれがあり、だからその時代に生まれたものの多い古典落語には、ロンドン背景のシェイクスピア、ブロンテ、パリ背景のバルザックやスタンダールたちに匹敵する人間喜劇と頽廃の魅惑が、あるのだ。金子光晴が戦前に書いた『日本の芸術について』には江戸文学のその精髄が述べてあり、『どくろ杯』に挿入されている金子の上海放浪時代に描かれた絵には、明らかにその匂いがある。
幕末の湯島切通し生まれの圓朝は、そういう空気がたっぷりと支配する都市で育った。

『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』『文七元結』『芝浜』など圓朝の創作した見事な噺にはすべてその気配があるが、その頂点がこの『牡丹灯籠』である。
ここには、萩原新三郎、お露という本編の主人公たち以外に、その18年前の飯島平左衛門とかれが斬り殺した黒川孝蔵、後にその父の仇を図らずも撃つその子の孝助、新三郎の家の下働きの伴蔵とその妻のお峰、その2人と孝助たちとの20年後の栗橋の宿での大団円の終結などの幾世代やいくつもの家族、恋人や愛人たちとの錯綜した複雑な物語の展開があるが、それらの血なまぐさい物語の全体に、何とも言いようのない「都市と時代の持つ頽廃の魅惑」を、それに接するものは感じ取るに違いない。
情念と因縁の紡ぎ出す濃密な劇。
それが、鶴屋南北、近松らとともに、19世紀冒頭の”世界繁盛の三都”(ジョン万次郎の言葉だ)の筆頭の江戸の稀代の創作家だった圓朝がわれわれに残したものだ。
92年から26年かけて語り続けてきたあの『百物語』の1つとして不世出の女優・白石加代子がこの語りを残してくれたことは、何たる遺産だろう。

カーテンコールに登場した白石は、殺害場面のやたらに多いこの物語が引き寄せるかもしれない怨念を祓うため、「怨霊よ、飛んでいけーっ!」と叫びながら、舞台から何度も塩を撒いたのだ。
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