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2018年07月15日10:50

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知性とは何かーもののあはれと紫式部

39歳からの一年間、ニューヨークのある大学に通っていた。
そこのある授業でディベートの時間が設けられ、「知性について」のテーマだった。
私はそこで、「知性とは何か」と問題意識を立て、それは、センシティビティ=繊細さの理解のことではないか、と論じた。だがこの問題の立てかた、理解、議論は、欧米系の人間には、まったく解されなかった。かれらは、知性とは何かの問題になぜそんなものが出てくるのか、という当惑の表情を揃って浮かべていたことが、非常に印象に残っている。その時点でジョージ・ケナンやレストンやハルバースタムをすでに読んでいた私は、お望みならば欧米知識人に評価の高いそれらの名や文章を出すことも出来たのだが、そうしなかったことには理由がある。

大学に入ったら学生運動をやると決めていた。大きな闘争の前に、当時の秦野警視総監が機動隊員に対し、「過激派の学生の攻撃に身の危険を感じたときは、拳銃の使用も許可する」と訓示しているのを知った。われわれの闘いを抑制のための恫喝とは思ったが、自室の机に万一の場合を考えた家族宛の遺書をおき、遺体が見苦しくないように必ず下着を替えて出かけるようにしていた私がなぜそんなことをいうのか、上記を読み、訝しんだかたもいるかもしれない。

その発言の背景は、そのように闘争と思想、その根拠としての、「歴史とは何か、社会とは何か、人間とは何か」という問題への追及が学生時代から20代一杯の私の頭を占めていたことがらだったのだが、親しい友人たちと何百回、何千回、徹夜で繰り返したか分からない上記のような内容をめぐる議論のなかで、あるときOという友人がこのようにつぶやいたことが、忘れられなかったからだ。
「陽虎。こういう議論をしているとき、オレという人間の奥底まで、おまえは分かるか。オレはときどき、おまえについて、そう考えることがある。そういうことが分からなければ、こういう議論には、果たして意味があるのだろうか、と」
闘争の時代が過ぎ、消えぬ重苦しさと空しさの内ゲバの70年代が過ぎていっても、私には、上記のOの言葉が、なぜかずっと忘れられなかった。
人間とは、その生とは何なのだろう、と。

紫式部は、正確な生年も没年も、事実上、世界最古の長編小説といってよいあの物語を執筆するのに何年を要したのかも、判明していない。だが最近の研究で、彼女の生涯にかかわる次のいくつかの事実が、明らかになってきている。
まだ幼いときに母親を喪ったこと。
次いで、年齢の近い姉も喪ったこと。
少女の時代にもっとも親しく交わった友を、若年時に喪ったこと。
20代後半に結婚し一女を設けたが、その僅か三年後に、夫を喪ってしまったこと。
それから暫く経ってから、『源氏物語』を書きはじめたこと。
作品とその著者の実際の生とはべつのものではあるが、『源氏物語』の文体と彼女のそういう生とは、当然切り離せまい。『源氏物語』には、自身の前半生を前提に、それを書かずにはいられなかった式部の生の奥底の声と、それがそういう物語を採用したある何ものかが潜んでいる筈である。

私は『源氏物語』の全五十四帖をまだ通読していないが、大学浪人時代に古文の参考書のなかで読んだこの作品のいくつかの章の、何ともいえないある悲哀の、そういってよければ世界観の情念が、胸に沁みついている。その著者とは、名著の『古文研究法』のなかで「志のある研究者ならば、いつか力の籠った文学史を自分の手で書きたいと思っているものだ」との約束をその数十年後に『日本文藝史』全五巻で果たしたあの小西甚一である。
上記の私とおなじ趣旨のことを、当然もっと遙かに深い思考力で、吉本隆明も『源氏物語論』で述べている。

最近知った紫式部のそういう生涯の事実から、10代でその古典物語の内容がある落胤の男性の果てしない性愛のオンパレードと知って以来、ずっと、オレの心に何のかかわりがあるか、と遠ざけてきたこの作品に、ようやく推参するときが私の生涯のなかでやってきたのかな、と思い始めているのだ。
本居宣長がわが文学の特質としてただ一言そう言い切った「もののあはれ」とは、『源氏物語』を頂点とするその情調重視の世界観と、その表現のことであるのだろう。その世界観の生彩も襞と陰翳も、人を慕う心の動きやその記憶にもっとも現われると、式部と宣長は知っていた。
そこに存在する、生きることに伴う”必然の悲しみ”(鴎外の文学を、中野重治はそう呼んでいる)をほかのすべてのことがらより重要なことと見做した「鈴の屋さん」(宣長を、和漢洋の古典に通じた石川淳は、三重松阪の豪商の生家の屋号から洒脱にそう呼ぶ)は、やはり慧眼どころではなかったのかも知れない。小林秀雄が生涯最後の仕事として書き続けたのは、この本居宣長論である。宣長の凄さは、かれが言霊の万葉以来の日本の文学の最大の特質と剔抉したこの「もののあはれ」、いいかえると生に伴う必然の悲しみ、に無縁の民族はないと、普遍の眼で見切っていることだろう。
源氏物語への刻来たる。
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