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2018年07月12日08:48

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恋と密教の古代ー丸谷・山崎の『日本史を読む』下

前回は、本書の第一章の題名である「恋と密教の古代」の内容について書きたかったのだが、その全体は書けず、恋だけで終わってしまった。
今回は、「密教の古代」を、書く。
密教とは何か。
それは勿論、直接的にはインドで原始仏教のなかから紀元前後に生まれてきた宗教思想だが、本書で丸谷や山崎がいっているのは、その宗教思想そのものではない。
当時の古代の日本人の心性に存在していた広義の密教、つまり呪術的心性のことなのだと思う。呪術といっても、何も、五寸釘である特定の人を呪い殺すようなおどろおどろしいものなのではない。
密教とは、別の言葉でいえば、人びとの願いの実現にかかわる一種の神秘主義のことである。象徴的なものとしては、空海の高野山のあの護摩焚きの行を思い浮かべればよい。

大きくは、国誉めや国家の安寧祈願、支配権力の弥栄、権力と無縁な一般の人々の暮らしや人生では、日々の平安、家族の健康と長寿、作物の豊作に繋がる天候の良好、個別の者の人生では、恋の到来と結婚の成就、子宝に恵まれる願い、など全体の祈りが、古代の人々の呪術の対象と目的なのだと思う。
中国からも尊敬されている漢字学の巨匠の白川静は、古代中国の殷の甲骨文の解読から、その古代中国の人々が生活の全般を呪術に頼っていたことを明らかにしているが、ことは、我が国を含め、東アジア全般でもおなじだったのだと思う。
科学が出現してくるルネサンスと17世紀より遥か以前で自然や世のなかの仕組みの合理的理解などなく、マスコミなどの広範な情報もなく、年貢や税の収奪に怯え、病いの苦しみに怯え、いつ突然やって来るとも知れない嵐や天候の急変に怯えるだけの一般の人々にとり、じぶんと家族の安全と幸せをただ自然や何ものとも知れぬ超越的存在に祈る以外、ほかに何が出来ただろう。
本書で言われている「密教の古代」を、私はそう理解する。

ここで山崎は、万葉集の編纂とその成立はだいたい7世紀後半だが、そこから100年か150年間かの後に、空海の帰朝、高野山の開山などを画期に、我が国での密教の隆盛期がやってくると、述べている。
すると、この時期に、歌が、言葉の魂を介して上記のような人々の人生にかかわる呪術的願いの意味を色濃く持っていた万葉の時代が終わり、その呪術は、空海を頂点とする日本型密教の時代への転換と移行が起こったのではないか。そこで密教とは、空海の高野山や最澄の比叡山などのエリート僧侶たちの世界だけを指すのではなく、我が国で旧石器の縄文時代からはじまり、土地の人々に信仰されてきたであろう原始神道や、自然信仰、また修験者、山伏、全国放浪の僧たちなどに支えられていた神仏習合の草の根的な土俗信仰も混じっていたであろう。私が戦後の芥川賞では随一の完成度と思う森敦の『月山』には、地方の土俗のそういう姿や人びとの光景が、見事に幻想的な文体で描き出されている。

そのことは、また、奇跡的に僅かに「アジアの世紀」を古代において成立させたと考えられる7世紀から8世紀にかけての唐の時代というものを、浮かび上がらせる。
それは、いいかえると、唐で、中国で古来から浸透していた道教、儒教と、インドからやってきた普遍宗教である仏教、その当時の姿である密教との争いの時代でもあった。
そのインドから中国に伝来した密教の最高の僧侶は恵果だが、その一の弟子は、日本からやってきた空海。
当時の密教とは、世界の意味を説く哲学体系である形而上学と認識論の合体である。
その最高の教典が、大日教と金剛頂教。その2つをわが日本語で統合したのが、空海の「三教指帰」である。
本書には、古代日本の当時のインテリが、「世界とは何か」や「それをいかに認識していけばいいのか」などの知的欲求を抱いたときには密教の大日教と金剛頂教でこたえ、民衆の日々の暮らしや人生上の悩み、願いには、加持祈祷を含む広義の呪術で日本型密教がこたえていったであろうことが、説かれている。古代の当時の詩歌や密教の意味と、それらが人びとの暮しや人生にどう受け止められていたかが、よく分かる。そして空海と高野山がなぜあれほどの支持と信仰を集めたかもだ。
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