そのふたりの言葉で、胸に刻んでいるものが、私にはある。60年代だったと思うが、吉本と江藤淳が「文学と思想」と題された対談をおこなった。そのなかで、江藤は吉本に、こういった。「吉本さんには、いま俗に”吉本主義者“といわれる絶対的ファンの若い人
昨日の「満開の桜と高麗の仏画」という文章のなかで、私はこう書いた。「私に興味があるのは、紀元前5世紀のインドでの誕生以降、何世紀もかけて東西南北に伝播していった仏教は、その各地でどういう民俗要素に修飾されて根づいていったか、だ。例えば、原始
ホテル西洋が閉館してしまって以来、約2年間通ったベローチェでお会いし、そのかたが舞台で踊る姿をぜひ拝見してみたいものだなと思っていた姿を、ようやく見られました!それは、素晴らしかったです。とても、素敵だったです。パ・ド・ドゥというのは、バレ
旧友たちとの今年の花見は今度の日曜としていたのだが、うまい具合にその4/2が都内の満開日と、気象庁が宣言した。で、ここに書いたように根津美術館の庭園カフェに朝10時のオープンと同時に集合と伝達済みだ。今回の目的は鬱蒼の庭での桜なのだが、どう
を認めている晋三はなかなかやるなと思っていたが、それはかれの度量の大きさとか包容力とかいうこととは、違うようだ。第一次安倍政権を大腸炎で投げ出し、数年まえに菅義偉らの熱心な懇請でふたたび総裁選に挑戦を決めたとき、昭恵夫人が最大の反対者だった
明日の夕、牧阿佐美バレエ団のバレエ塾卒業生公演というものを、観にいく。出演するのは、ホテル西洋が閉館してしまったため、19年毎朝通った珈琲ブレイクの場所に行き暮れ、やむなく通うようになったベローチェ銀座二丁目店で出合った女性がお茶大の舞踊学
そういうタイトルの回を、15年10月に書いた。きのうのものにちなみ、再掲しておく。題に挙げたふたつの本の標題を見て、酒井順子は頭とセンスの良い人だなと思った。 一時どころか今でも相当数の熱心な女性ファンがいるのであろうユーミンの歌、音楽の世
あるきっかけから、大学時代の友人と、十五、六年ぶりに会って飲んだ。このSは学生運動をやっていることが父親に露見し、「親に養ってもらっていながらそういうことをやるのは許さない。すぐ辞めるか、家を出ていくかだ」といわれ、「それなら出ていきます」
何を品と呼ぶかは、土地や時代によってもことなろう。また、人の風格やなり、容貌、衣服の纏いかた、ものごとの判断や行動、生きかたなどを指してそう呼ぶ場合もある。そうではあるのだが、そこに置かれたあるものから、凄まじい品が立ち昇って来るという場合
私の提案で、そういうところで、今年の旧友たちとの花見はやることにした。その場所はどこかというと、青山の根津美術館の庭園だ。ここは東武鉄道をつくった根津嘉一郎の屋敷だったのが、死期近くなった床に息子たちを呼び寄せ、じぶんの死後はこの屋敷を美術
T 様昨夜、届きました。この銅製のぐい呑みは、なかなか素敵なものですね!ぐい呑みというと、これまで磁器、陶器のものしか見たことがなく、私が持っているのもその二種類です。しかしこの銅製のものは、さすがに有次という京都の老舗の職人のお店のものらし
が、いよいよ、公開されている。私は太平洋戦争のガダルカナル戦を描いたかれの『シン・レッド・ライン』(98年)でマリックの感性と映像的想像力、ひいてはそのことが意味する世界とは何かの問題意識に、深く打たれた。それから何年後だったか忘れたが、次
まだ読了はしていないのだが、下條のこの本は、専門である脳科学、認知科学の世界の最新の知見を基にしていて、たいへん示唆に富む。その1つは、脳の機能は脳内部、あるいは脳単独でその内部に存在しているのではなく、脳と身体、脳と外部環境との関係の中か
私はよく覚えているのだが、いろんな審議会の会長とかを務めている京セラ名誉会長の稲森和夫が、7、8年くらいまえに、こういったことがある。「こう日本全体に閉塞感が充満しているような状態がつづき、その気分が去らない社会全体の状況を見ていると、いっ
いっぽうは、NHKや朝日が喜んで取り上げ、誰からも文句なく賛同を得る人間。いっぽうは、そういう圧倒的賛同は得られないが、最悪の環境を切り開いていく独創と行動力と情熱を持ち、しかし私生活面での女性問題から、トータルには賛否がわかれる人間。そして
北海道の夕張市が365億円の債務を抱えて財政再建団体指定を受けたのは、06年3月。08年に東京都の猪瀬副知事からその夕張市への職員派遣の提案を聞いて手を挙げたのは、高卒で都庁に就職し、在職のまま法政大夜学で地方自治を学んだ鈴木直道だった。か
物質である脳が、いかにして心を生み出すのか。これが、まだ解かれていない「心脳問題」といわれるものだ。数学、物理、化学がからきしダメでご丁寧に高校時代その3つすべてに赤点を取ったくせに、近代科学はどのように成立してきたのかという問題には私は関
船戸与一遺作の『満州国演義』全9巻を8巻まで読み終えた。それで分かったのであるが、船戸はわが国民国家形成の第一の大事件となった日露戦争の、そこで完璧な勝利を収めて終えた日本海海戦の全プロセスを描いて高度成長期の戦後日本人をいい気持ちにさせた
陽虎 様こんばんは。お礼のお返事遅れまして失礼致しました。昨日届きました。凛とした、使い勝手の良さそうな一輪挿しですね!硬い素材感と、柔らかな造形が素敵です。それに、自ら購入する機会がまずない事も嬉しいです。妻も喜んでおります。現在、自宅を
私は、文学、音楽、美術などのいわゆる芸術と総称されるものの最大の役割とは、異界を見せてくれることだと思っている。それは、私たちがへいぜいそのなかで生きている日常には、基本的にまったくない世界だからだ。だから、そういうものを提示されると、何と
makoron2017年03月10日 18:40 3月は10日、11日と立て続けに被災記念日なのですね。>ドシン!という大きな音は本当に何だったのでしょうか。米軍はどうして天皇とか軍部のある中心部では無く、下町の人口密度の高い土地に非戦闘民が密集地を狙ったの
私の両親と私の生地である港区の芝金杉からは通称「川向こう」と呼ばれる勝どき橋と隅田川からは対岸になる墨田や江東、荒川一帯ほかがその空襲の中心的犠牲になった地域だ。それには当夜の北西から南東への強い風向きも災いした。そのことはその空襲の対象地
そういうものがあるのだそうだ。それは、先週の慎太郎の記者会見でも東ガスとの豊洲買収交渉を一任した特別秘書の浜渦武生を介してのものなのだという。こういうことなのだそうだ。小池百合子の父親の信二郎は地元の芦屋で衣類の貿易商企業を経営していた。だ
先週の金曜日、オフィスのネットで、慎太郎の記者会見中継を、70分全部見た。いくつかのことを感じた。まず、全体的に手ぬるいなと思われた記者たちの質問のなかで、『サンデー毎日』の倉重篤郎のそれだけが慎太郎を詰まらせていて的確だった。それは、「じ
そういうものを、大阪の高級クラブやバーの集積地であるいわゆる“キタ”のママたちが新入りのホステスたちに酒の場での接客のプロの心得として手ほどきした冊子があり、それをこのたび、35年ぶりに印刷して配ったそうだ。そのラストに書かれているのが、こ
を、京都のある男性に、日曜日に、贈った。そのお祝いのプレゼントは、過去10年間で、4人めである。私の結婚祝いは、定番がある。バカラの一輪挿しだ。私自身は持ってはいないが、それは、形態と質感に品とセンスと、それから高級感がある。しかもシンプル
69年春に大学に入学したとき、私を含め二浪以上がクラスに3人いた。二浪が2人で三浪が1人だ。私はそうではなかったが、二浪以上のその理由は、東大が第一志望で、繰り返しチャレンジし、敢え無く挫折したためだ。私は性来の頭の悪さのほか、新左翼運動で
私が「日本人の平和ボケ」は問題だと思っているのは、それが敗戦から70年も経つのに国内に外国の軍事基地を置かせて平気でいることと、完全にこの事実と一体のこととして、事実上、沖縄だけにその負担を押し付けていることだ。第一の「平和ボケ」の事実が、
ところで、昨日の話題には、その舞台となったバーとはどこなのか、の名称も挙げておきたいものだ。できればそこそのもの、あるいはそこでなくとも、そこはかとなくその雰囲気を味わえるような大人の雰囲気のバーを知っているのとそうでないのとでは、あの内容