mixiユーザー(id:4541837)

2018年07月06日11:03

176 view

映画というもの

ある出来ごとを映画にしてほしいというとき、そう望む人は、何を願っているのだろうか。
その出来事に、国家権力との対決や暴力や叛乱を含む波瀾万丈のストーリーが豊富と思い、そういう物語を映像で見たらさぞ楽しめるだろう、と考えるからだろうか。
私にはそうとしか思えず、それは無神経で想像力が欠落した発言に感じられるのだが、そういう私の感じかたのほうが、おかしいのだろうか。
私がそう感じるのは、それが何であれ、ある時期を懸命に生きたある人間の生の軌跡というもののなかには、必ず、他には絶対に伝わらない「孤独の核」というものがあり、それは、娯楽の題材や物語にはならないと考えているからだ。
いいかえると、私は、あるものごとが本物かどうかは、そこに、硬質の「孤独」が存在しているかどうか、で測られる、と思っている。
他人の生の軌跡にかかわる文章や言葉のなかに、そういうものを感じ取る能力があるかどうか。
無神経か、そういう何かを感じて、ある種のものごとの前で佇むか。
それを分けるものは、何なのだろう。
映画には、たしかに、娯楽映画もあれば、フェリーニ、ワイダ、ゴダール、トリュフォー、タルコフスキーなどもある。
12 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する