あなたが思っている以上に、希望のたねなんてある。気付かない幸福があるのに、忘れて、わがままだけが、世界を見てる。欲望や、自分に都合いい未来だけ、描きたいなら、あなたの未来は欺瞞に満ちている。本当に、人の心に向き合ったの?自分の手柄ではなくて
僕なりに生きて、僕なりに夢を思って。何かがちがっていたのは知っているけど、その何かがわからなくて、「生命は、不幸を嫌う」それだけはわかるんだ。幸福になるために、宗教も政治も、科学もあるんだ。目的は争いなんかじゃない。幸福という名の最大の奇跡
どんな人にも良心はあって、していいことと、してはいけないことを知っている。自分が認められないことに、余分に腐らずに、夢を思って、山道を登る。誰もやったことがない道筋があるから、それが、オリジナル・ワンなんだ。無限に広がる繁栄の理想は、それぞ
面白いこと考えよう。それは幸福の創造の力。誰が顔しかめたって、最後意味は分かるから、思い切って生きたらいい。涙も笑いも、集めた宝物も、必ず、光を抱えている。個性的であることは勇気がいるけど、一人一人に、誰にもまねできないその人の歴史があるこ
滅びるということは、また新しいものが生まれるということ、季節に四季があり、冬の白い幕が、世界を覆って、新しい舞台を創るように、素直に受け入れよう。次の舞台が始まる前に、どんどん準備して、最高の演技を神様に差し出そう。
一炊の夢と、言った人がいるぐらいなんだから、今だって夢なんだろ、幸福って何だろう。許せる心って何だろう。人のせいにしないで自分がダメとか思わないで、意味があると知って、考えよう。自分を失うということは、世界の半分を失うこと、自分の光で、未来
自分の小さな夢におぼれてた。働くことと、責任だけ、果たしていくことが、生きていく意味だっておもってた。心を込めても、無駄なんだなと、あきらめたときから、きっと、どんな世界も腐敗が始める。気つかない間に、世界は闇に落ちるのだろ、でも、気付かな
戻せない時間なのに、ただ普通の時間が過ぎていく。一日一日が金の砂粒。出会う一人一人が一期一会。明日に当たり前ではない未来が来るとは限らない。たとえそばいなくても、主よ、あなた共に生きていられる日々の一粒一粒を、僕は大切にしたいのです。
傷ついた心。悲しい気持ち、伝わらないけど、求めたくて、一緒にいてほしいのに、わがままいえる勇気もなくて。だから、「一人歌うんだ。」本当は甘えたいのにね。お月様が少しだけちいさく見える夜には、本当はいっぱい甘えたいんだ、その優しい背中に背をわ
なぜそうなんだろう。どうしてなんだろう。触れるものすべての存在の理由とメカニズムを知りたくて。きっと神様は何一つ無駄なものは作っていないって、そう思うから、目に映るものすべてが、僕の楽しみのすべて。なぜそうなんだろう、どうしてそうなんだろう
自分の未熟さえゆえに、祈りしか道がなくて、失望しかない今に、希望を祈る。道は無限にあるといわれても、自分が見える道は一つしかなくて。朝にひざまずいて、夕べにこうべを垂れて。
右の枝には喜びという名の花が咲き、左の枝には幸福という名の果実がなる。一番若い枝には希望という名の緑が栄え、支えている根には耐え忍びという名の徳が宿る。その大樹の名前を、「感動」と呼ぶ。
詩は始まりに人の心に生まれて、そのことの葉とともに生命を持つ。やがて、美しい音に出会って、その生命が光り始める。よき語り部が、何度も歌いつないで世に受け継ぐように、とこしえの世に光を灯す。さざ波の輝きでいいから僕の心にも届け。
未来に滑り込みながら、急角度でエッジを切る。スピード感に負けないで、雲海突き抜けて、幸福の大地へ。またなつかしいみんなに会える。夢も希望もいっぱい詰め込んだよって、精一杯生きたこと伝えたい。さぁ、最後のターンの向こうに光と栄光の大地。
ささやかではあるが、僕には野望がある。それは、舌の上で溶けるメロンを創ること、「落涙のメロン」食べてもう死んでもいいやっていう、メロンつくりたい。思いつきなのか、遥か昔にやり残したのか、それはわからない。ただ何度も何度も心に出ては来る。一生
座標は最初が、進歩型と、調和がしかなくて、いろんな種族の違いをプロットしていくたびに、座標軸の数が増えていく。あなた方でいう、多次元世界の出来上がりである。全ての存在を、もしもプロットできたら、宇宙も、魂たちの世界も数式化できてしまう。ただ
宇宙にあふれる、熱というものが、全ての生命の創造の足場。熱は情熱。エネルギーが集中しなければ、熱は生まれない。意思が、あって、物事は想像され、創造されたものに、情熱が加わるから、歴史が生まれる。
全てのカギのありかを知っているのが天才。全てがわかっている振りをするのが天狗。叡智の泉にたどり着いて、人類に施すのが天才。叡智の泉から盗んで、自分の手柄にするのが天狗。
紅の夕日に映えるは、最後の吐息。もう一度、春に咲く日と未来を信じて、新緑栄える春の陽を迎えるために、今、ひと時の有終の美こそ。我らが美学なり。
難しい言葉でいくら言われてもわからない、でも、きちんと書いて教えたり、図解しながら、その構造を教えたり、身近なたとえで教えることによって、より高度な知識も、手じかにできる。上手に、その考え方の構造を考えて、教えることが、その人類の進化を高め
故きを温ねて新しきを知るという、学ぶべき歴史が、認識の広がる奥に、無限に広がっている。考古学的な楽しみも捨てがたい。掘り起こして学ぶことが、今を反省し、今を新しくしていくからだ、人の学びも歴史も循環していることを、何時しか学ぶ日が来る。歴史
愛と幸福を、思うために、お互いにしのぎを削って、違いを考えるのはやめなくてはならないかも。考えてることが、小さいから、お互いの争いはやまない。自分の権益とか、取り分とか、・・・・・・・。本当に神を思うのか、それだけが問われている。根源の意志
挑戦と、支配権をつかむことが、世界を支配する力だと、思っていた。でもそれが、世界を創るための意志だと知るために、何億年かかったんだろう。力は導きである。それは、一人の存在として、生かされている意味において、やがて気づく日が来る。世界も、歴史
レクチャールームであくびしながら、だから何だっていうのって、うそぶく。そりゃそうでしょ、合理的だし、整合性もあるし、そんなの常識だし。最初は、最先端の世界にいきた。その次は原始的な人と交わった、歴史のすべてを知っているつもりで、どんな世界に
畑に仕事に出かけて、お昼休みに家に帰る。取付道路の端っこに咲いている君の姿が愛おしい。何度も、タイヤで踏みそうになりながら絶対傷つけないようにきちんとハンドルを切る。最初はなぜ、そこに種が飛んだかを思いながら、いつしか君を見守る愛になる。野
胸にあふれて、心はソラに届きそうなのに、なぜか届かないこの思いだけ。心に距離がないというなら、届いてほしいのに。「愛している」とは言わない、「離したくはない」とは言わない、「そばにいてほしい」とは言わない、ただ愛おしいという心だけ君に届け。
人の意見を聞かないこと。自分がよければそれでいいこと、愛するふりをして、人を黙って捨てること。完全な愛は、ないのはわかるけど、それをもとめて、裁く心が出てくる。、愛の心は、信じる心が基本だから、裏切るものに憎悪が地獄を創る。生きているうちに