農家を初めて20年たった、去年は自分も含め住んでいる網走管内が豊作になったとしではあったが、それが続くことはないと思ってはいた。たしかに、祈願を重ねてはいた。そして今年、北海道全体が大豊作となり、自分たちの地区では、史上空前の豊作年となった
愛しているといっても、伝わるわけでもない。ただ、少しばかり、あなた方の胸が暖かくなったら、それが僕の気持ちのすべて。愛は実在する。哲学で証明できなくても、科学で証明できなくても。理由はなくても、感動は訪れる。人は魂であり、心がその中心である
この地に生まれ落ちたことが、どういう意味なのか、悟れないまま、大きなつまずきも、小さな躓きも、うけいれてきた・・・・。今朝ね、大切な法友が帰天した。何もないところから縁をつないで道を開こうとしたあの日。かなしみも、喜びも、あなたと共にあった
いつのひか、行こうと思ってはいたが、思わない形で実現することとなった。生きて名を残すより、死して名を遺した先人たちにあいにいくには、ちと心は引けるが。その勇気に接するときに、また、心高鳴るのを抑えきれない。生命をかけるとはいかなることか。そ
まどろみと、癒しと、包まれるような安心感。母の心のような春の日差しのような心。永遠のまどろみの中に生きていけるように僕は祈ろう、そして、母なる愛が私を包み導いてくれたように、私もまた、春の木漏れ日のような心で生きていこう。誰とも言わず…この
まどろみと、癒しと、包まれるような安心感。母の心のような春の日差しのような心。永遠のまどろみの中に生きていけるように僕は祈ろう、そして、母なる愛が私を包み導いてくれたように、私もまた、春の木漏れ日のような心で生きていこう。誰とも言わず…この
とどまることのない時代の進化矢継ぎ早に過ぎていく流行・・・自由は思いのほか得られずに、情報とかマスコミの意見にかきまわされていく。置いてけぼりなのか、本当の理想を見失っていないだけなのか、ときおり、錯覚に陥りそうになる。子供の日に見た、夕日
どうしようにもないようなことで悩んだ日。僕が見上げた夜空には、無造作に輝いてる星たち・・・。今日がどういう日か、僕なりにはわかっているつもり。僕が見上げて心強く感じるように、あの優しい輝きの星々は、僕を見守ってくれているだろうか。いつの日か
悲しみをかきけしたいしたいので書きたい。ただそれだけ。笑いが、本当に世の中の役に立つかどうか知らない。でもね、悲しみは吹き飛ばしたいんだ。
おとといの朝義理の兄貴が他界した。慟哭する妻を片目に見ながら自らの責任とどうすることもできない運命のしがらみに、言葉の一つも出ない。ただ、いえることは人は愛の名のもとに生まれ、そして育ち死という名の別れのもとで愛を悟る。愛する者との別れの中