「パラサイト」以前のポン・ジュノさんが手掛けた作品は、数本を除いて見ております。登場人物の生立ちや才能、そして社会情勢含む境遇とか。描き方は日常風景の中オフビート調だったり、ミステリーや時に特撮要素を前面に押し出したりと、「韓流」にありがち
演劇の上演時間も中休みを挟んでの長丁場な演目も、多かったりしますが。人気ミュージカル舞台の映像化である本作も、2本に分けたうえに間を一年(米国基準で。我が国での後編公開時期は現在不明ですが)据え置くらしく、後編までの「待て」を世間が許してくれ
万人受けを義務付けされて商品化されるディズニー製の作品を現地米国オスカーレースで抜き去って、長編アニメーション最優秀賞の栄誉に浴したラトビア製作の本編。ご覧の通り、黒猫をメインに据えるも、二足歩行をするとか人語を解するとか、作品世界の中で擬
描き上げられた美的な画世界を一気に駆け抜けて、アートセンスに触れる満足感と闇が渦巻く迷宮を共に跳躍したかの高揚感をもたらす「動き」の表現にひたすら注力されて。上映時間74分は、再びの充実であった。舞台となる「大奥」は、名前も仕組みも実写で見る
デビュー作と前作は、ローカルにはブッキングされなかったので完璧な知ったかぶりは出来ませんけれど。アクション物かと勘違いされそうな原題マンマの邦題命名の「フロリダ・プロジェクト」で保護施設の係員から逃れてディズニーランドの園内にかけ込んで行く
公開から時間が、経ってしまったので簡潔な書き上げを心掛けてみる。ことさら半生を盛り立てる事なく、1人の表現者が持ち得た独善性や非凡な才能故の「先進性」と並びミュージックシーンに於いて成功に安閑とせずに「おのれ」を貫くスタイルは、取り巻く他者
太宰治をモデルとする放蕩生活を送る夫の作家に振り回されながらも受け入れ共に歩む女性を描いた「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」。前時代ならではの耐える女の話と想像されるが、ダメな男を愛しているという自覚による毅然とした姿勢の美しさと、生活苦や愛
4月のTV放映時に「お試し」で視聴したら良いかと、タカを括ってたのですけど。1979年の最初のヤツを体感した記憶が今も残っているのであれば、感激必至ですぜ。身内が、これの通常タイプを一度劇場で見て来たお陰で、逃さずにすみました。巷に流れている表向
同じく80年代の香港を舞台にした「トワイライト・ウォリアーズ」と見るべき作品の公開時期が偶然にも重なってファンには堪らない年明けであった。「トワイライト」の方は、伝統のカンフースタントの再興が、巧い具合に醸されたノスタルジーと男同士の熱い絆が
エンタテインメントとして今の嗜好に合わせ企業継続を図る一方で、映画会社として自社の「強み」をこの先の時代へ繋ごうとする意志が伝わって来る。昨年の「十一人の賊軍」から間を置かずに東映が繰り出す時代劇。安易に製作費回収しようと手間の掛からないア
世界中の映画監督の中で、自ら映画館のオーナーとなっているのはタランティーノ氏と、本作の主役に等しいフィンランドを代表する名匠アキ・カウリスマキ氏しか知らない。本作は、2021年にアキ氏が住む街カルッキラって、おおよそ映画館を成り立たせるには「不
他人を見下すかの狂騒的な笑いではなく口元が緩むような可笑しみと、被災地の復興の現状や関心薄くなった世間へ向けての主張を一方の立場から押し通すのではなく、東北外のよそ者達も招き入れ双方の立場を取り持つ平衡感をもって描かれる。脚本家と監督の持ち
気が付けば、登場人物たちとシンクロからの感情移入。主人公の窮地に、薄々感づいてはいるのだけれど、望まれるタイミングで現れる助っ人へ叫びたい位の心の中の快哉。ありきたりなセリフなのに、やたらと掻き立てられるセンチメンタルな気分。情報やら仕入れ
「いいじゃないか、いいじゃないか」原作者も手掛ける音楽にのせて、注文した食事を掻っ込む松重豊さんの当たり役の「心の声」に食い気を煽られっぱなしのファンであれば、迷わず出掛けるべきかと。積み重ねた製作歴の長さで、国内に留まらずアジア隣国でも親
毎年、ベスト10本を選出する為に見ているのではないとしながらも。前半は、洋画がオスカー発表絡みでそっちが優先されるのと、春休みシーズン入りを控えてか気を惹く邦画が見当たらず、夏の終わりから邦画の比率を高めて本数を揃えた格好か。メディアや世間で
邦画の振り返りと同じことを書きますが、評判的に使命を架す作品に名匠や注目株のクリエイターが繰り出す作品とか、自らを焚きつけて見に出かける事が無くなりました。コロナ禍からの停滞期を経て、映画館も立ち直るべく稼働に励んでいる中、地方なんか見る側