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日記一覧

1980年発表のファースト・アルバム。個人的に、あれだけアイドルを聞いているくせに?女性ロック・ヴォーカリストが苦手でアルバムを持っているのはジャニスとか一握りに過ぎない。プリテンダーズは、パンク風味のロックンロールが好みだったが、女性ヴォーカ

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1979年発表のファースト・アルバム。スカにパンクのエッセンスを加えた2トーンの代表的なグループだった。パンクと同じ様に尖っているのにスタイリッシュなのも特徴だった。パンク以降の70年代後半からロックはどんどん多様化していった。新しい動きが大き

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6月26日、午後。大した用事でもないけれど、秋葉原→御徒町→上野→新宿と回って夕方に渋谷へ。3マン・ライヴ「二丁目のAppare!デパートへようこそ!」会場は、初めての渋谷WOMB(ウーム) LIVEタイトル通り、ライヴに定評がある三組の対バンイベントだ。午

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6月26日、日曜日。仕事へ行くよりも早く自宅を出発する。RepiDollの生誕祭+1周年ライブ会場は、PARMS秋葉原。アクアノートがよく使っていた会場だ。平均年齢が若いグループなので安全面を考慮してライヴ活動を休止してから対バンや撮影会などはあったものの

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オリジナルは1977年に発表された12曲入りのレコード。それがCDで再発される際に、なんとなんとボーナストラック39曲!3倍以上のヴォリュームで全51曲も収録されて発売された。元々は、ジョニー・キッドがリーダーのロックンロールバンドでザ・フーがカヴァー

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オリジナルメンバーによる1975年発表のセカンド・アルバム。人気のファーストと対の様な作品だ。まぁ、後追いではあるのだが同じロックンロールでももろパンクよりはパブロックの方が好みだった。ウィルコ・ジョンソンのギターはバカみたいにカッコ良いのだけ

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1998年に発表されたスラップ・ハッピーの再結成作。グループ自体はもっと前から知っていたが、このアルバムはCDショップで視聴してから購入した記憶がある。アヴァンギャルドなどと紹介される事もあるが、そこまで難解ではなくほどよいポップさ加減が心地良い

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2019年に発表された二枚目のアルバム。CDとしては今のところ最後の作品となっていて、これ以降の新曲はすべて配信のみでのリリースとなっている。現在の幾分ヒップホップ寄りのサウンドと比べるとロック色が強い。ライヴでの定番曲も数多く含んでいる。ライヴ

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このアルバムは、再評価でも何でもない。なぜなら、7月13日発売、つまりまだ正式には発売前なのだ。太っ腹な運営が全曲期間限定フル試聴可能にしてくれている。5人の新体制後の初音源集で、内10曲は過去の名曲の再録音、最後の一曲が新体制初の新曲となってい

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イギリス人のSSWによる1972年に発表された三枚目、そして生前最後の作品。デビュー時から繊細な作風であったものの、二作目まではエレクトリック・ギターやドラム、ストリングスなどでアレンジされていて美しさや躍動感も感じることが出来た。しかし、商業的

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1989年発表の彼らのサード・アルバム。ヴォーカルのマイク・パットンが加入してからは初めての作品。80年代後半はロックとラップが密接な関係にあった。ランDMC、ビースティー・ボーイズ、レッチリなどが一足先に成功していたがこのアルバムで一気に追い付い

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1998年発表のギャラクティックのドラマーのファースト・ソロ・アルバム。現代版のニューオーリンズ・ファンクを追求していたギャラクティックはスクラッチなども導入していたが、ソロではガンボのルーツに近いサウンドを展開している。よくギターが歌っている

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1982年発表のアルバム。フォーライフを設立したくらいから初期の抒情的なフォークソングから脱却して抽象的で独特な歌詞に変わって行った彼の作風が一定の完成を見た作品。最も象徴的なのはヒットした「リバーサイドホテル」だろう。歌を聴いても歌詞を読んで

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87年発表の作品。REMはデビュー時から話題になっていたが、それはカレッジチャート内での結果に過ぎなかった。ここからシングルのThe One I Loveがヒットし、アルバムも初めて全米チャートにトップテン入りしてその後の快進撃のきっかけになった。それまでの

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1991年に発表された彼らのセカンド・アルバム。ジーザスジョーンズは、当時デジタル・ロックと呼ばれていたジャンルでトップクラスの人気を誇っていた。打ち込みとバンドのバランスが絶妙で刺激的だった。問題点があったとすれば、なかなかライヴがCD音源を上

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今年の3月に活動を停止したアクアノートの2019年に発表された唯一のアルバム。アクアノートはポップスとしての名曲を幾つも持っていたグループだった。グループ全体の活動を振り返れば、「あの夏に」はCD-Rでの発売だったし、最高傑作だと思っている「アクア

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1956年発表のアルバム。アルト・サックス奏者ジャッキー・マクリーン等、強力なメンバーを集めたクインテットで制作。自分はジャズ評論家でも何でもないのでこの作品がジャズ史においてどの様な位置付けなのかも分からない。あくまで個人的な主観ではあるがミ

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1983年に発売されたシーナの産休によって実現した最初の再結成時のライヴ盤。メンバーは、菊、鮎川、奈良、に初期のドラマーだった浦田という四人編成。70年代のサンハウスは完全に後追いだったので、このアルバムが初遭遇だった。当時は、新旧の洋楽を追うの

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1976年発表のアルバム。中学生の頃、ビートルズ・シネ(マ)・クラブと言うファンクラブに入会していた。活動の中心は毎月の会報と音源やグッズの通信販売と定期的に行われていた関連作品の上映会だった。ハード・デイズ・ナイトやレット・イット・ビーなどの

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1985年に発表された作品。シンセやリズムボックスも使用されているが、ほぼトッド一人のヴォーカルのオーヴァーダビングにより仕上げられている。同傾向の作品としては山下達郎のオン・ザ・ストリート・コーナーがあるがトッドは完成度や様式美よりも実験的な

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1982年発表の作品。スティーヴ・ヴァイやチャド・ワッカーマンらが参加。当時は、「フランク・ザッパの〇△□」という原題とは全く関係ない邦題を付けられ、今以上にザッパは変わり者で難解と言うイメージを増幅させていた。全体的にザッパにしてはポップ寄り

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2002年発表の復活作。復活とは言ってもオリジナルメンバーはタイスのみ。トリビュート・バンドに本家が加入する形での活動再開だった。思い出深いのは、このアルバムをリリースした事によって実現した再来日公演。来日記念盤的な意味合いもある作品だ。新ギタ

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1981年発表。ヴォーカリストがジョー・リン・ターナーに変わってから初のアルバム。日本では、ロニー・ジェイムス・ディオ、コージー・パウエルが在籍したいわゆる三頭時代が圧倒的な人気があるが、この時期は主にアメリカのマーケットを意識した音作りがされ

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1989年に発表されたサードアルバム。日本のロックの金字塔である「家庭教師」は翌年に発表された。岡村靖幸はアクが強過ぎて、音楽を評価する前に「気持ち悪い」とか「ナルシストっぽくて嫌い」とか雰囲気だけでシャッターを閉めてしまう人がかなり多い。この

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米国のSSWの1986年発表のデビュー作。デビュー・シングルの「セ・ラ・ヴィ (C'est la Vie)」が全米2位の大ヒットを記録し、日本でも話題になった。良い曲を書けるし、ルックスも良い。そして何より艶のある歌声が絶品だ。素晴らしい。ところが、シングルを出

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1990年発表のファースト・アルバム。CDショップのポップには、トム・ウェイツやセルジュ・ゲンスブールなど気になる名前が書かれていて、聞くとフランス人でしゃがれ声のピアノマンだったので妙に納得したのを覚えている。ただ、フランス人と言うだけではなく

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1992年に発表されたファースト・アルバム。ウィンドウズが発売されてインターネット社会になる前は雑誌やMTVの他にCDショップが重要な情報源だった。レコードからCDに移行してから視聴機も置かれる様になって実際の音源を聴いてから購入する事が可能になった

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1991年に発表されたビブラストーンのメジャーデビュー盤。80年代中頃から日本語によるラップを模索していた近田春夫が1987年に結成したのがビブラストーンだった。ビブラが画期的だったのは、ヒップホップの定番だった(今でも?)MC∔DJというスタイル

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ミニアルバムやライヴアルバムを除き、「宇宙防衛軍」以来16年ぶり(1996年)に発表されたスタジオ・アルバム。遠藤賢司って70年代の人でしょ?って人は多いと思う。ただ、ここからの20年はデビューからの20年を凌ぐほどの多作ぶりだった。遠藤賢司は、

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これはCDではなくビデオテープ(現在はDVD)です。1990年の9月に代々木公園野外音楽堂にて開催されたフリーコンサートを映像化した作品です。ボ・ガンボスはCDでも良いアルバムを幾つも残していますが、この作品を選んだ理由はただ一つ。顔が映るレベルでは

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