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2008年09月21日13:53

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実体と幻影

不良資産買い取りに75兆円 米
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=613696&media_id=2

米国発の金融不安で揺れる世界経済。

地価が下落し、住宅ローンが焦げ付き、信用の傷ついた金融機関が資金繰りにつまり連鎖倒産する。

まさに日本のバブル崩壊の再現を見ているようでもある。

歴史を振り返ると、世界各地で似たような金融危機が何度も起きているのに、やっぱり欲に目がくらむと人間見えるものも見えなくなるのかな。

でも、経済音痴の私にはよくわからないことがある。

金融システムというのはお金が余っている人からお金が足りない人に資金を回すものというのが私の理解。

でも、最近はいろんな金融商品が出まわっていて、そう単純なものではないらしい。

先日倒産したリーマン・ブラザースのような投資銀行(証券会社って日本語では言うのかな)は我々小市民のちまちました預金を集めている銀行とは訳が違うらしい。

エラい額の負債を抱えて倒産したのだけど、誰にカネを借りて誰に貸しているのかよくわからない。

金融機関というと最も賢い人たちが働いているというイメージがあって社会的プレステージも高いけど、一体何をやってカネを稼いでいて、どのように社会に貢献しているのかぜんぜん見えない。

普通の企業が倒産しても救われないけど、大きな金融機関が潰れるとあちこちに影響が出てしまうので、政府が介入せざるを得ない。

日本みたいに経営難の金融機関の負債のうち回収できない分は納税者が肩代わりすることになるのだろうけど、一体何でそんな負債を背負ってしまったのかわからないのでは、なんか騙されているような気がしないでもない。

よくわからないのは、金融商品というのは実体がないからだ。

経済というのはもともとは我々が生活するのに必要な財やサービスを生産する活動。

そしてそうした財・サービスというのは衣食住のように実体がある。

でも、資本主義が発展すると、全ての財・サービスは貨幣化される。

そのモノ自体が持つ価値ではなく交換される価値によって計られるようになるのだ(モノに値段がつくということ)。

そのおカネというのも、もともとは金みたいな貴金属にリンクされていたのだけど、今ではそういった実体から切り離されている。

皆が価値があると思っている限りにおいて紙幣というのは価値がある。

ある日、皆が紙幣がただの紙切れだと気がつけば、通貨価値は暴落し、文字通り紙切れ同然になる。

金融機関が扱う証券というのも紙切れである。

最近はペーパーレス化も進んでいるので、紙という実体さえないかもしれない。

誰かに貸したカネを取り立てる権利という抽象的ものが証券なのである。

この証券の価値というのは、実体の価値ではなくどれだけ確実に貸したカネを取り立てられるかという主観的な判断にかかっている。

しかも、重要なのは自分ではなく他の人たちの判断である。

ケインズという経済学者は株式市場を美人コンテストに例えている。

賭けに勝ちたければ、自分がいちばんきれいだと思う候補者ではなく他の人たちが美しいと思っているであろう人に投票しなければならない。

実体から切り離された証券の価値というのは客観的な基準を欠く。

衣服や食い物や家であれば、他の人がどう思うかどうかと関係なく、生存に不可欠な最低限の必要性をもとにある程度客観的な基準を引くこともできる。

こうした実体から乖離した幻影は、投資家の主観次第で乱高下するのだ。

自由化された今の金融市場というのは、こうした実体を持たない幻影を追う場所のようにみえる。

しかもそれがグローバル化されているので、金融不安があっという間に世界に広がる。

投資家が賭博のようにカネを賭けているだけなら我々貧乏人の知ったところではないが、その幻影経済が今度は実体経済に跳ね返ってくるとなるとあまり気持ちよくない。

おカネというのは経済の血液みたいなもので、血管が詰まると企業が倒産したり、庶民が家を差し押さえられたりする。

実体から切り離された幻影が、今度は逆に衣食住という実体にまで悪影響を及ぼすのである。

これはいわゆる証券(株式、債券など)に限らず、原油とか食料みたいな商品にも当てはまる。

もともと我々の生活に密接に関連している原油とか食料が投機の対象になり、利用される価値ではなく期待される交換価値によって取引される。

もはや原油や食料と言う実体ではなく、おカネというシンボルによって表された値段が取引の対象になっているのである。

こうした資本主義の危うさを最初に指摘したのはマルクスのような気がする。

我々が経済活動に従事するのは生きるのためだが、幻影が実体から切り離されると、逆に経済というのが我々の生存を脅かす。

資本主義は生産性の向上を生み出すが、人々を生産手段から切り離し、労働力を売るしかないプロレタリアートを生み出す。

人間の価値が貨幣化され、一人ひとりに賃金という値段がつくのだ。

生産性の向上のおかげで我々の生活に必要なものはより安く作れるのに、貧困に喘ぐ労働者が増加する。

結果として、貧富の格差が拡大する。

金持ちは享楽的な文化を生み出し、金持ちのために必要もない財やサービスが生み出される

(なぜ、マラリア・ワクチンではなく育毛剤に莫大な研究開発資金がつぎ込まれるのか考えてみよう)。

他方で、労働者は貧困化し、資本主義が次々に作り出す財やサービスを購入できない。

でも、こんな資本主義はいつかは崩壊する運命にあるとマルクスは予言する。

大量に生産される商品を購入できる人が益々少なくなり、資本家は利益減少に悩むことになる。

最後には、生産手段を独占した一部の資本家と生産手段を持たない大量の労働者が対峙する。

そこで労働者の意識が覚醒する。

「俺たちがあくせく働いているのは生きるためのはずじゃないか。皆に衣食住を保証するに足るだけの生産力があるのに、なんで俺たちの生活は益々惨めになっていくんだ。生産手段を資本家から俺たちの手に取り戻せば、皆が生きれるようになるはずだ」

マルクスは、経済が実体(我々の生存の必要性)から乖離しすぎることはないと信じた。

共産主義革命というのは、マルクスにとって本来の目的を逸れた経済を実体に引き戻すものだったと言えなくもない。

幸か不幸か、マルクスは楽観的すぎた。

労働者自身がが小さな幻影を追いかける機会と引き換えに、実体の根本的な改善は先延ばしにしたとも見えなくもない。

そして、今でも我々は幻影を追い続けている。

幻影によって牽引される資本主義経済というのは、ますますプラトンの洞穴の寓話に似て来ているような気がする。
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