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2024年04月17日23:56

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4/14 大吉原展【前期】@東京藝術大学大学美術館

開催前から物議を醸した展覧会。 SNSで炎上したとニュースで知ったくらいで、異議を唱えた人々の論をちゃんと読んでいないのであるが、「公認売買春という負の歴史的舞台を、江戸文化華開いたところとして美化・肯定するのは売買春の事実を容認する性虐待軽視の表れである」というようなことだったと思う。
まあ、ここ十数年で最もセンシティブになった部分であるから、色々なご意見もあろう。開催側は「決してそんな意図はございません!」と躍起、なんとか開催にこぎつけた。



そのせいか、それとも最初の予定通りなのかはわからぬが、説明に正確を期そうとするあまり、あまりにも内容説明が細かい。

吉原の成り立ちから始まり、吉原の街の構造や遊女たちの1日のタイムテーブル、吉原の変遷とそこに影響を受けた或いはそこから発した文化とその歴史など多岐にわたっている。
3階会場では、吉原大門江戸町を型作った展示室と辻村寿三郎や三浦宏らの人形や模型で吉原の雰囲気を肌で感じ取ってもらおうという趣向。浮世絵だけでなく、着物や道具、かつらまであり、盛りだくさん。数が多いと、海外から里帰りした逸品を流してしまう恐れがあるので要注意だ。


SNS炎上で知れ渡ったためか、結構な混雑であった。大きなリュックを背負ったままの人も多く、スマホ着信音があちこちで鳴り、美術館に慣れていない人が多い雰囲気。

吉原に関する知識を仕入れるには十分な内容で、賛成反対に関わらずまず知ること!議論はそこから始めるべき!と私は思っているので、事実だけを正確に詳しく伝えようと言葉遣いにも気を配った、満足いく展覧会だったと思う。
…が、疲れた。見終わるのに、なんと4時間かかってしまった。

後期もあり、1/3ほどが入れ替わるようだが、もう行かなくていいかなー。鳥文斎英之の浮世絵は最近千葉市美で堪能したし、歌麿三部作のうち《吉原の花》も今回拝めたのでよしとしよう。


人形・辻村寿三郎、建物・三浦宏、小物細工・服部一郎の《江戸風俗人形》のみ撮影可。

作品リストはおいてないが、言えば出してくれる。

B2Fから始まり3Fへ移動。ただし、3Fを先に見ても支障はない。

上野は名残の桜で大賑わい。これはいつもの…。
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https://museum.geidai.ac.jp/exhibit/2024/03/yoshiwara.html
https://daiyoshiwara2024.jp/
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約10 万平方メートルもの広大な敷地に約250 年もの長きに渡り続いた幕府公認の遊廓・江戸の吉原は、他の遊廓とは一線を画す、公界としての格式と伝統を備えた場所でした。武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。約250 年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心地でもあったのです。3 月にだけ桜を植えるなど、贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界だったからこそ、多くの江戸庶民に親しまれ、地方から江戸に来た人たちが吉原見物に訪れました。そうした吉原への期待と驚きは多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)らの出版人、文化人たちが吉原を舞台に活躍しました。
江戸の吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはありません。本展では、今や失われた吉原遊廓における江戸の文化と芸術について、ワズワース・アテネウム美術館や大英博物館からの里帰り作品を含む国内外の名品の数々で、歴史的に検証し、その全貌に迫ります。

第一会場:吉原入門
第二会場:
 江戸前期 武家と豪商たちの遊興
 蔦屋重三郎と吉原の出版界
 錦絵美人画
 後期江戸吉原 格式と大衆化
 天明狂歌の世界
 吉原の近代
 『たけくらべ』の世界
第三会場:
 市中から吉原へ
 江戸町一丁目 花見 大見世
 揚屋町 茶屋から妓楼へ
 京町一丁目 大文字屋サロン
 京町二丁目 玉菊燈籠、八朔
 俄、吉原芸者、花魁の教養
 江戸町二丁目 遊女のよそおい、切り見世、よそ行き、雪の吉原
 仮託、後朝の別れ
第四会場:江戸風俗人形


福田美蘭《大吉原展》
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これを元にしたポスター、チラシは、炎上後差し替えられたよう。「アメイジング江戸」のコピーも消えた。
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「吉原入門」では、作品の上に拡大の映像が流れ、吉原で働く人たちの呼び名などが紹介されている。

歌川国貞《青楼二階之図》
屏風がWWではなく自由に折り曲げられて使われている。


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勝川春潮《吉原仲の町図》
春潮の肉筆画は20点くらいしか現存していなくて貴重。
花魁が茶屋に客を迎えに行くところ。これを花魁道中という。
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喜多川歌麿《青楼十二時 卯の刻》
朝5時〜7時、後朝の別れ。見えない裏地のオシャレをする粋な遊客の羽織は、同時に帰りたくない心情をも絵に託している。
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川又常正《青楼遊客図》
帰ろうとする客と引き止める遊女。画像では小さくてわからないが、複雑に絡みあう指が心情を表している。
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鳥文斎栄之《畧六花撰 喜撰法師》
大英博物館から、鳥文斎の錦絵もたっぷり来ていた。鳥文斎の大首絵が実は数が少ない。
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喜多川歌麿《青楼七小町 玉屋内花紫 せきや てりは》
かんざしに髪を巻き付ける貝髷(ばいまげ)のアレンジ。くるっとゆわえた白い紐は髪型が崩れないようにするため。
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遊女の大首絵では、来年の大河ドラマの主人公、蔦屋重三郎の存在も外せない。

勝川春章《遊里風俗図》(部分)
蚊帳越しの様子が、点描などで細かく描かれている。
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歌川国貞《芝居町 新吉原 風俗絵鑑》(部分)

右下、子犬が三匹禿に戯れかかっているが、応挙風の子犬だった(と、そこに目が行く)

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酒井抱一《遊女と禿》
稲穂模様の打掛。
酒井抱一は、遊女香川を見受けしている。小鸞と名乗って、俳人、画家でもあったという。そういえば、英一蝶も吉原通いをして自らも幇間だったとか。
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こちらは酒井抱一と遊女白玉の遺愛品。大晦日、吉原だけにある門付芸。
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時代は明治に下って…

河鍋暁斎《吉原遊宴図》
飲んだくれていい気になる酔客と、冷ややかな遊女、耳打ちする遣り手婆。
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高橋由一《花魁》
浮世絵の絵でなく、初めて花魁を写実的に油彩で描いた作品。モデルの小稲は「わちきはこんな顔ではありんせん」と泣いて怒ったと言い、初めて見た時は私もさもありなんと思ったが、修復後のこの作品を見たらなかなか美しいではないか。可愛らしいタイプではないが、知的で気が強うそうな今風モデル。でも、こんな絵は見慣れなかったんだろうなぁ。
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幕末来日したシュリーマンは「日本人は、他国で卑しく恥ずかしいものと考えられている女を崇めてさえしている」と驚いたそうだ。

1872年芸娼妓解放令が出される。
自由意志で遊女をやめることができるようになった。とはいえ、行く当てもなすすべもなく吉原に留まる女も多かった。これまでは、家の犠牲になって身を売られ借金でがんじがらめにさせられたことに世間の同情が集まっていたが、その後は違った。事情あってここに留まる女たちへの目は同情から軽蔑に変わって来たのだった。これぞが差別。

この階最後に、鏑木清方《一葉女史の墓》
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続いて3階へ。


喜多川歌麿《吉原の花》
大画面の肉筆画浮世絵「雪月花」三部作(《深川の雪》《品川の月》《吉原の花》)のひとつ、アメリカのワズワース・アセーニアム美術館蔵。ちなみに《深川の雪》は岡田美術館、《品川の雪》はフリーア美術館蔵。
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吉原では3月に桜の木を植え、花が散ると一斉に抜いてしまうんだとか。エンタメの極致だね。

桜の錦絵では、歌川豊国《桜時の吉原仲之町》が「紅嫌い」で描かれていて、華やかなのに渋くて粋だった。

人形・辻村寿三郎、建物・三浦宏、小物細工・服部一郎による《江戸風俗人形》は撮影可
猪牙舟の三浦宏展覧会は昨年「吉徳」で見たなぁ。実によくできている。
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鳲(し)鳩斎栄里《芸妓図》
足元に三味線。吉原芸者は春を売らない。芸事に誇りを持っているとのこと。
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歌川国貞《北国五色墨》切見世
華やかな花魁の世界がある一方、多くの遊女は「切見世」という最下級。2畳の部屋で戸口に立ち客を待つ。時間制。
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どんな華やかな花魁も、金銭で売られ、多額の借金に縛られていることに変わりなく、劣悪な労働条件に耐えかねて、吉原では放火が多かったとか。

歌川広重《名所江戸百景 浅草田圃酉の町詣》
この絵、これまで何気なく見ていたのだが、これは遊女の部屋から猫が浅草鷲神社を眺めている図。
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手前にあるのは酉の市のお土産の熊手型かんざし。客が吉原に来るついでに寄って買ってきたのだろうと。左端屏風の影に角だけ見えるのは「御事紙」だという。客が帰った後の静かな部屋。ほっと一息、外には出られぬ身で格子越しに外を眺める猫は遊女の姿なのかもしれない。


浮世絵の見方が少しだけ深くなった気がする「大吉原展」だった。



5月19日まで(前期は4月21日まで)

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