2024年１月、ながらみ書房刊。佐藤博之さん（マイミクのちゆう太郎さん）の第１歌集。「國學院大學短歌研究会に入會し、卒業後しばらくしてから『心の花』の門を敲くことになりました」と「あとがき」に記されている。
端正な詠み口の作品が並ぶ歌集だ。いまどき流行りの口語つぶやき体などには目もくれず、文語旧仮名（しかも漢字は正字表記である）にて、韻律の面でも意味の面でも定型にのっとった歌を詠まれる作者である。ときたま〈板の間に四肢を擲（なげう）ち眠り落ちなむとする目が抗ひ、あら、が〉というように遊んでいる歌もあるのだが、それでも字余りでも字足らずでもなく、酔うて軽口を言っているもののネクタイは外していない、といった風だ。
作者の生活のさまざまな局面が題材とされていて、職場（医療器械メーカーに勤務されているらしい）の人間関係や仕事の場面の歌、野球などのスポーツを観戦している歌、オーケストラの一員としてチェロを演奏している歌、バイクでツーリングをしている歌、お父さまの看取りの歌、恋人のち妻とのかかわりを詠んだ歌などが並んでいる。
さらに漢詩二篇が短歌と同列の風情の一行書きで挿入されていて、これはユニークな試みだと思った。ただしまことに申し訳なきことながら、僕には漢詩を読む力が備わっていない。
また、普通、歌集を編む際にはいくつか小見出しを立てるものだが、この歌集には小見出しはなく、目次には「第一章 第二章 第三章」と記されているのみで、三つの章にはタイトルも付けられていない。これもまた作者のポリシーの表明なのだろう。青柳守音さんの『風ノカミ』（＊）がこれに類する作りだった…などということを思い出した。
（＊）
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以下『殘照の港』より10首。
殘照の靜けさ。木ずれ、波の音。三笠が闇を吸ひて膨らむ
四樂章分の悲哀を一弓に込めて全音符を彈ききりつ
我も誰も秘やかに血を湛へ乘る京急線の赤鮮やけし
峠道グリツプ固き右膝を締めて大地を傾くる夏
納豆を混ぜたるにつれぐわぐわと上司の白髪頭は回る
超音波洗淨裝置の歌聲に二百の螺子（ねぢ）が唱和する午後
遺言に續けさよならと言ふ父に未だと諭せば一つ笑ひぬ
前の人の設定のまま倍寸にコピーされゆく始末書控
けふ私、博之さんのゐる部屋に歸りたいなどと君が言ふゆゑ
ここがいいとベランダに立つ君の貌のもつとも曜（かか）やく部屋に決めけり
付記１：この歌集の漢字表記は正字によっており、上記引用では正しく表記できていない箇所があります。
付記２：佐藤さんが所属する「心の花」では、４首目「グリツプ」の「ツ」のように、カタカナ表記の促音・拗音も普通サイズの文字で書くという決まりがある、と聞いたことがあります。
付記３：６首目（超音波…）には「貸出用整形外科手術器械メンテナンス室」の詞書があります。
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