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2023年04月06日20:48

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『ムラブリ』を一気読み

 一昨日、映画(スピンオフ)を見るため戸塚へ行った際、駅ビルに「有隣堂」がテナントで入っているので、寄ってみた。家を出る前、有隣堂のHPで読みたい本の在庫を調べ、1冊だけあることがわかっていた。
『ムラブリ〜文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』(伊藤雄馬著)。
 3週間くらい前、朝日の書評で紹介されていた単行本だ。
<「森の人」を意味するムラブリは、タイやラオスの山岳地帯で狩猟採集生活を営む500人前後の少数民族である。彼らは裸足で森に暮らし。畑仕事もしない……>
 書評を読んで、この本は買いだと決めた。ムラブリは人数も少なければ、生活の場も限定的だが、東南アジアにはいまだ国家の支配を受けない民族が何十万人もいる。ゾミアだ。東はベトナムの山岳地帯から、カンボジア、ラオス、ミャンマー、バングラデシュまで、国民国家に属さない人の輪が存在している。
 アナーキーと言えばアナキズムの極致で、彼ら彼女らは戸籍を持たないので法の支配を受けることはいっさいなく、そもそもは所属国家から逃走した人々を起源とするゆるい集団ゆえ、期せずして脱資本主義の枠組みに存在している。
 さて、ムラブリに戻るが、彼ら彼女らは文字を持たない、暦も持たない。なので(この先の)スケジュールはいっさいが空白だ。さらに、人間と人間が対立することを極端に嫌っている、と著者の伊藤は語っている。感情は(当たり前のことながら)あるが、それを露骨に示すことはなく、、仲間同士が群れているときでも会話は少なく、たがいに黙り合っている時間が多いそうだ。基本的には採集と狩猟で食っている。集団で畑を作って農業をするということはない。狩りも同様単独でおこなう。人と人との紐帯が弱いということや、労働意欲が乏しいことなども含め、なんだか羨ましい人たちだな、と本書を読んでいる間、ずっと感じていた。
 著者の伊藤はそもそもがポンコツ気質だったのだろう。ゾミアの集落に通ってゾミア語を研究しているうちに、だんだんと日本人からゾミア人へと体質が変わっていき、せっかく得られた大学教員の仕事も2年やったのち、本当に自分らしさからはほど遠い職だという理由で退職してしまった。この本はゾミアの実態を紹介したり、ゾミア語を文法学として解説したりという概説が半分、残りの半分は伊藤の体験記であり人生論であり挫折と自己解体と再生の物語。後者のほうが面白かった。
 本を買ってその翌日に一気読みした、というのはそれだけ私にとって面白い本だったのだろう。3時間かけて、250ページをほぼ一気読みした。

 ゾミアの人間性は藤井聡太に通じるところがある。藤井は他者を否定したり負の感情を表したりしない。4月3日の夕刊で、「藤井の言動は徹底して負の要素がない」こと、「地位や名声は時に人を傲慢にするものだが、藤井は14歳から20日まで全く変わらない」という署名記事が掲載されていた。大谷翔平なんかもこの傾向があるように思う。
 私は毎日、ニュースを見るたび怒りまくっているのだが、一方でダイバシティなんて用語が出まわるずっと前から、家の内外でひとの悪口を言うということがまずない。政治に関わること以外、最大限の多様性を認めているつもりだ。サラリーマン時代も悪口は言わなかったなあ。こいつバカか、あいつは大嫌いだ、という負の感情はあっても、そいつらは自分の裡なる”反面教師”像に昇華させて、乗り切った。藤井颯太やゾミアには到底及ばないけど、最大限自分が出来ることは悪意を表明しないことくらいだ。これを日常で繰り返していると、自分がダメになっていくのがわかるのだ。もともとがダメ人間なので、1センチほど下降してしまったら、赤点を切ってしまう。73点の人だと1点原点になったところで72点だが、30点の私が1点引かれると29点となり、(私が在校していた)高校では補習を受けなきゃいけない事態になる。
 隣の芝生は青く見えるものだが、私は日本人ではなくゾミアに生まれたらもう少しラクだったかもしれない。かといって今更、30歳そこそこの伊藤のように自分本位制に移行して、脱資本主義構築に励む力もない。
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