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2023年03月14日04:08

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“学ぶ(探究)”ということの本質を考えてみたくなりました。フランク・タシュリン監督「底抜けシンデレラ野郎」(1960)再見。

実は2015年の7月にDVDを購入したときに見ていたのですが、今回見直してほとんど初めて見たような印象でした。当時書いた日記を読み返してみると、印象までほとんど一緒(あたりまえか?)。

つまり「女はそれを我慢できない」を楽しく見直したとき、一緒に見た映画仲間から“フランク・タシュリン監督作の何を持っていますか?”と尋ねられ、調べてみたらこれ以外に持っていなかったのです。←あと「腰抜け二丁拳銃」と「「腰抜け二丁拳銃の息子」を録画してありますけど、ジェリー・ルイスではない。

以前“タシュリンって、たいしたことないと思っていたけど、面白いね”と言うと、ヤフー掲示板の映画仲間pnewmanさんから、ノーマン・タウログよりは上ですよ、みたいな意見が出ていたのですが、僕にはやはり同等ですね。←この僕の発言は、「腰抜け二丁拳銃」を見ての意見だったと思いますが、定かではありません。

とはいえジェリー・ルイスは、ディーン・マーティンとコンビを解消してから製作や監督も自分でやり始め、コンビ時代以上のヒット映画を作ったのでした。←僕が“底抜け”コンビの映画を追いかけたのは小学生時代ですから、ルイスが製作や監督に乗り出した中学生のころには、もう少し大人向けの映画(つまり「ペルシャ大王」とか…)へと興味が移っていました。

同時に中学時代にテレビが家に来て(この表現に注目!)、「ウッドペッカー」や「バッグズ・バニー」という10分アニメに出逢うと、ルイスのコメディーなどから足が遠のきます。決定的だったのが「トムとジェリー」の中で見た、テックス・エイヴェリー(当時はテックス・アヴィリーと表記されていたな)の「ドルーピー」でした。

それを教えてくれたのが森卓也さん(敬称なくして呼べません)で、中原弓彦氏の「喜劇の黄金時代」や石上三登志さんの「国際諜報局」論とともに、僕が「映画評論」誌から学んだ映画論の基礎となっています。

ところで今、宇野弘文という人の書いた「社会的共通資本」(岩波新書)という本を読んでいるのですが、その第4章に「学校教育を考える」という章がありました。“社会的共通資本”という言葉は、最近になって初めて耳にした(目にした?)言葉ですが、我が母校の准教授斎藤幸平の説く“コモン”のことだと考えています。

先日トルストイの「芸術とは何か」を読んだわけで、今回「社会的共通資本」を読んでいくと、ますます資本主義が利潤追求に特化してきたことの悪影響が実感できるのでした。一方で、芸術作品を“買う”ことで所有することが可能であり、同時に“社会的共通資本”として社会で共有できるとも確信できました。それはまた別の機会に述べましょう。

つまり、高等教育というものには2つの側面があるということです。これはソースティン・ヴェブレンという人が唱えた説で、2つの側面とは“Idle Curiosity(自由な知識欲)”と“Instinct of Workmanship(製作本能or職人気質)”だそうです。この2つの側面という考え方が、僕には納得でした。

テックス・エイヴェリーのアニメは、まさにそれだと思う。僕は自由な知識欲に燃えて見つめ、エイヴェリーの職人気質の技を堪能したわけです。ジェリー・ルイスの“珍芸”にも同じような魅力がありますが、エイヴェリーのギャグには見ている僕を、時々シュールな感覚で震撼させることがあるのです。ルイスにはそれが乏しい。

もちろん実際に芸として演じているジェリー・ルイスと、いかなる表現やテンポでも可能なアニメを並べて評することはできません。しかし、ルイスがパラマウントの看板役者としてボックスオフィスを賑わせていた事実があったとしても、僕には“わ、わしの望みは、もうちいと…”だったわけです。

たとえば「底抜けシンデレラ野郎」では、義母と連れ子2人がフェラ(ジェリー・ルイス)と夕食を共にするとき、同じテーブルに座らせますが、いちいち“ワインをついで”などとサープさせます。フェラは長いテーブルの反対側に座っているので、その距離を歩いてくる時間が僕には苦痛でした。それはちょうどルイスの変顔が嫌なのに似ています。

にもかかわらず、ルイスは延々とそのシークェンスを見せる。喜劇人としてのルイスにとっては大事なシーンでしょうが、僕にしてみたら“加藤泰のように上手く見せろよ”ということなのでした。だから「女はそれを我慢できない」なら、ミュージシャンたちの楽しい音楽がクッションとなり、まるで「シャボン玉ホリデー」を見ているような感覚で楽しめました。

あの時代僕は、クレージーキャッツ(=コントを作った青島幸男)らに心酔していました。そしてフジテレビの「サンデー志ん朝」(城悠介だっけ?)にも。だからテレビには、今でも“それ”を求めてしまいます。都知事選挙では喜んで青島幸男に投票したし。←その程度の政治感覚ですねん(汗)。

ということで僕はこの十何年か、Instinct of Workmanshipを実践しておられる池島ゆたか監督とおつきあいでき、このごろは毎月監督作品を見せていただいたり、さらに別の勉強会を開いたりしています。140本に及ぶ監督作も、大半見せていただきました。この調子なら、“池島監督の全監督作を見るまで死ねない”と発言したことが実現しそう(最近監督作が増えていないのが残念です)。

そしてまた社会的共通資本である芸術に関して、利潤追求しか考えない法人資本主義が権利を主張し、今回のいわゆる荒木・いまおか裁判のように、本来の権利者を無視して映画作品を“削除”してしまったという不埒な行為に対して、“正義”が無力だったわけです。ロシアのウクライナ侵攻という言語道断な行為も、法人資本主義の悪用の結果というほかないのでした。

いいかげん、利潤追求だけを信奉する輩には、社会からご退場いただきたいものですが、それは相当難しいようです。しかし、正しいことは正しいと、声を上げる以外に手立てはないのですから、僕は諦めません。ということで、あと四半世紀おつきあいください。

写真3は、義母ジュディス・アンダーソンと息子たち。「影なき狙撃者」でシナトラと戦っていたスパイにご注目。もうひとりのRobert Huttonは、知らん(笑)。
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