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2019年01月10日12:58

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すでに三十年以上前に、アメリカにおける移民を描いていたドキュメンタリー。ルイ・マル監督「しあわせを求めて」(1986)。

ルイ・マルは、映画キャリアの初期に、ジャック・イヴ・クーストオの「沈黙の世界」に参加していますし、このあと「42丁目のワーニャ」(1994)というドキュメンタリーもあります。原題は「...And the Pursuit of Happiness」で、「幸せをもとめて」というロバート・マリガンの映画もありますから混同しないでください。あちらの原題は「The Pursuit of Happiness」です。

ルイ・マルは監督とナレーションも担当しています。フランスから移り住んだルイ・マルにとって、“移民”は大きな問題だったのかも。もっともこの映画では、さまざまな国からの移民を描いていますから、メキシコや中米からの移住者だけを問題にしていません。トランプ大統領みたいに、自分の祖先が移民なのに“この国に来た人間は出て行け”と言うのは、どう考えてもおかしいわけで、そういう一方的な言い分もありません。

カリフォルニア州とメキシコの国境近くにあるティファナでの映像を見ると、今まさに大勢の人間が押しかけている町ですが、すでに三十年以上も前からその傾向があったということです。当時の移民法が、“不法移民は送還するけれど、不法移民を働かせている雇い主は罰せられない”わけで、国境の担当官はその不備を指摘します。

さらに外国人初の宇宙飛行士もインタビューに登場しますし、エルサルバドルで支配者だった将軍が、アメリカで豪勢な暮らしをしているさまも描かれます。それぞれの移民に対してルイ・マルが意見を述べるわけではなく、そのような人種のるつぼとしてのアメリカを描き出しているわけです。

僕が印象的だったのは、インタビューされる移民のかなりの人間が、“移民してきた全員を助ける必要はない”みたいなことを言い切る場面でした。たとえばアメリカでは、学校給食を“社会主義的”と批判する人がいます。オバマケアの健康保険も同様に非難されました。こういう考え方の人には“人道的見地”というものが存在しないのか?と思ってしまいます。

でも、そうではないらしいと最近分かりました。つまり自立する努力を放棄した人間は“人間ではない”と考えているらしいのです。それはジョン・フォードの「怒りの葡萄」で、ワンデイ・オールドのパンを買いにレストランに入ったラッセル・シンプソンが、古いパンはただでやるから持って行けと言われて、“私は乞食ではない”と断る場面があったことを思い出させます。

そんな大恐慌時代から現在まで、延々と続いている移民問題が、多面的に描き出される興味深いドキュメンタリーでした。日本ではNTVで放送しただけで、DVDどころかビデオにもなっていません。僕は放送録画したVHSを持っていました。これだから簡単にVHSを捨てられないのです。←ベータを捨ててしまって少し後悔しています。
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