mixiユーザー(id:12569023)

2018年11月22日09:29

88 view

人生意気に感ず「楽泉園の会議。人権の碑は胎児の碑と共に」

◇昨日(21日)、栗生楽泉園の会議に出た。私たちはハンセン病で苦しんだ人々の慰霊を込めて人権を訴える碑を建てようとしている。今月6日に続く第二回目の会議である。私は通常、白砂渓谷沿いのルートをとる。六合(くに)の村々が好きなのだ。前回もこの道を走ったがおよそ2週間の間に山々の景色がすっかり変化したことに驚く。全山燃ゆるが如き紅葉は影を潜めていた。
 私は人権の碑の案文を頭に描きながら走った。荷着け場で道は別れる。白砂川に別れを告げ左折した道をくねくねと登る。この急斜面の険しい道を、炭を背負ったハンセン病の人たちは、かつて這うようにして辿った。その姿を碑文に込めたい。そう思うと、ハンセン病の人たちの姿が目の前に浮かぶような気がする。
 車は間もなく楽泉園に着いた。正門を入るとすぐに重監房跡地の入口を示す標識が目に入る。
◇会議室に入り藤田三四郎さんと握手して驚いたことは、その握力である。90歳を超えた元患者の力は私の手が痛い程強い。それは生命力の火が衰えていないことを示す。藤田さんの記憶力は素晴らしい。この人はこの日の会議で重監房のことを厳しく語った。碑文では重監房の文字が光るに違いない。
 会議は今年中にもう一度集まって案文を完成させることを決めた。前回の会議で九州の弁護士徳田靖之氏はここで建てる碑は全国の国立療養所に将来建てられる同様の碑の先駆けになるだろうと語っておられた。徳田氏はハンセン病国賠訴訟の弁護団長であった。
 会議の後、私は納骨堂を訪ねた。堂の前に置かれた石には「命カエシテ」の文字が刻まれている。堕胎された胎児の叫びである。注意してみると「命」の縦の線が下に向かって長い。生きたいと願った胎児の思いが込められているのだという。人権は堕胎を強いられた母だけでなくこの世に生を受けられなかった小さな命にも繋がっていることを痛感した。私達が目指す碑は、納骨堂の前面に位置して、この胎児の碑の近くに建てられるのではなかろうか。直ぐ近くには重監房資料館がある。新しく建てられる碑を含め、この一画が人権を学ぶ場として脚光を浴びることを私は願う。この日の会議で私の小説「死の川を越えて」の売上の一部を石碑建立費のために寄付されることが紹介された。私は胸がふくらむ思いで白砂渓谷を下った。(読者に感謝)

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年11月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930