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日記一覧

◇平成が終わりに近づくにあたり、戦争がなかった30年間を振り返れば、戦争にも匹敵する大災害があった。阪神大震災、東日本大震災である。特に、東日本大震災に伴う福島第一原発事故は原爆投下のような惨状をもたらし未だ終息が見られない。東日本大震災は

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◇平成が終わる。今月は平成最後の月。いくつかの勉強会を締めくくった。ミライズ、「へいわ845」、ふるさと塾等。ミライズは実は止めようと思ったことがあったがこのところ充実してきて来年に繋げられる姿になってきた。へいわ845は日本アカデミーの朝

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◇平成天皇最後の記者会見を感慨深く拝見した。ご結婚からの60年間は、私の人生の主要部分と重なる。天皇は「天皇としての旅を終えようとしている」と表現された。また「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵」、「阪神大震災や東

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◇20日、草津・栗生楽泉園で人権の碑建設の会議。春のような日差しの仲、吾妻渓谷の対岸には白い雪があった。八ツ場ダム建設の現場を過ぎる。世紀の事業は着々と進んでいるらしい。 午後1時、2回目の会議は車イスの藤田三四郎さんの入室を待って始められ

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◇国交省はパイロットの飲酒検査義務を定めた。乗務前のアルコール検知器を使った飲酒検査義務がなかったことが信じられない。10月末イギリスで、日本航空の副操縦士が現地の基準の10倍超の検出を指摘され実刑判決を受けたことに対応する国交省の動きであ

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◇17日夜、東京駅近くのホテルに一泊し、翌朝6時30分の新幹線のぞみで広島に向かった。この朝も暗い中東京駅周辺を走った。その疲れが出たのかもうろうとしていると富士山という言葉が耳に飛び込んできた。ハッとして横を見ると、右手に荘厳な富士が朝日

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◇田中正造が私の中で発酵しつつある。14日、その度合いを一歩進める出来事があった。田中正造及び鉱毒事件と縁の人たちと桐生の料亭で食事をした。食事の席でO氏から12月14日が特別の日であることを聞かされ不思議な気持ちに駆られた。明治24年12

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◇県庁の県民ホールで原爆写真展を観た。その悲惨さ、むごさは73年の時を超えて生々しい。我々日本人は想像力によって地獄というものを描いてきた。原爆が作り出したものはそれを遥かに超えている。閻魔様、血の池地獄、鬼たちに怯える亡者の姿などはむしろ

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◇昨日12日、浄土真宗の寺で楫取素彦の講演。久しぶりのことで、「甦る楫取素彦」という切り口で話した。現在、時代の一大転換点に立って、原点を見詰めるべき時、群馬の原点は初代県令楫取だと私は語った。 従来の楫取の講演と違う特色は、かつて行った私

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◇ノーベル平和賞のムラドさんのことは全世界に衝撃を与えた。自ら性暴力を受けた事実を実名でテレビで語る。事実は小説より奇なりというが信じがたいことだ。受賞決定後の記者会見で「声を上げられない人々の声になる」と語った。イスラム過激派の性暴力はこ

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◇入管法改正案が8日未明に成立した。私にとっては身近な法案なので関心を持っていた。野党は反対の姿勢であったが、迫力がなかったようだ。それは多くの国民がこの改正を求めていたことと関係があるに違いない。しかし、審議の過程は拙速の感があった。「政

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◇昨日(6日)、かつての同僚県議Sさんから連絡。私の小説「死の川を越えて」を自民党の全県議が買うことになったという報告である。前日、自民党控室を訪ね本の内容について私は説明した。本会議中で、昼食時であった。草津のハンセン病の人たちの人間ドラ

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◇私のまわりで政治が激しく動き出した。一つは山本一太氏の知事選出馬である。予想通り決意して公表した。少し前、電話で私の意見を求めてきた。政治家の決断はその人の生涯をかけた一大事である。政治の立場によってことなるが、政治は公器であるから、その

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◇窃盗罪で有罪判決を受けた人が記者会見するのは珍しい。マラソンの元世界選手権代表の原裕美子被告。太田市のスーパーで菓子を万引きした。盗んだ菓子の額は382円。同種の窃盗で有罪判決を受け執行猶予中だった。 いくつかの点で社会的影響の大きい事件

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◇日本が一定の役割を果たすことが出来たのかと思う。米中の対立が更に激化することを防ぐことである。安倍首相は「建設的役割」という表現を用いて両首脳に歩みよりを訴えたと言われる。安倍首相は習氏との会談でも、米中の対立は誰の利益にもならないと呼び

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