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2018年06月19日21:17

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名古屋市牛牧遺跡31 守山城址からタクハタチチヒメ

6月の中旬 快晴
守山白山古墳の西、120m以内に位置する守山城址に向かった。
そこは牛牧遺跡の南西2.2kmあまりの場所に当り、
その標高差は3.5mほど低地に当る。

フォト

ここに向かったのは2度目のことになる。
守山城址は現在南側2/3ほどが玉峯山 宝勝寺(ほうしょうじ)という
曹洞宗寺院の境内となっている。
守山城址の南側を東西に流れている矢田川までは50m以内で、
その堤防上から守山城址の森を眺めたのが(写真左)だが,
堤防より、守山城址の低地部分でも,3m近く標高が高くなっている。
当然のことながら,敵陣が矢田川の堤防を決壊しても、
城が被害を受けない場所を選んでいるわけだ。
宝勝寺部分には地形と旧い石垣以外は守山城址の遺物は残っていないので、
守山城址碑のある,北東部に向かった。
この部分は4mほどの高さに
鬼門方向に盲腸のように突き出した丘になっており,
物見の場所になっていたと思われる場所で、
周囲は切り立った崖になっている。
守山城址の本丸部分と標高に差は無く、間は空濠で区切られており,
本丸部分とは,いよいよとなれば落とせる橋で結ばれていたのだろう。
現在は東側に麓からの登り口が設けてあり、そこを上がって行き、
階段状で振り返ると、すぐ東に守山白山古墳の森が見える。
標高は守山白山古墳の墳丘の方が2mほど高い。
守山城址のこの部分の丘陵上は平ではなく、凸凹しており、
まるで育てているかのように樹間を開けて
複数本のアベマキと思われる樹が幹を伸ばしている。

フォト

この丘の北西の端の一画に塚が組まれていてその頂きに
『守山城址』の板碑が東向きに設置されている(写真中)。
この板碑には案内書が刻まれているのだが,
左半分は可読性の無い文字が多い。
名古屋市の公式ウェブサイトの
http://www.city.nagoya.jp/index.html

「守山城跡」の項には,こう紹介されている。

「東西58m、南北51mの一重堀の城で築城年、築城者とも不詳だが、那古野城が築かれたころ、築城された。大永6年(1526)宗長が訪れ、連歌を催している。その時の発句は〈花にけふ、風を関守山路哉〉。この宗長の手記が〈守山〉や〈守山城〉の最初の記録である。天文4年(1535)尾張攻略で守山城に布陣した松平清康が家臣に殺された〈守山崩れ〉の舞台である。その後、織田信秀に属し、桶狭間の戦い以降は廃城になったという。」

守山城址碑の塚上背後から北西方向には矢田川の対岸の堤防が眺望できる(写真右)。
対岸の堤防上まで290mあまりだが,川面は低くて見えない。
遠景には前回やって来た時には気付かなかった
鈴鹿山脈のシルエットがうっすら見えている、
ここから鈴鹿山脈が眺望できることは
偶然とは思えないところがあることに突然気付いた。
「鈴鹿の神」という諡(おくりな)を持つのが
タクハタチチヒメ(栲機千々姫)だが,
このタクハタチチヒメとヲシホミミ(天忍穂耳尊)の孫であり、
物部氏の祖とされる宇麻志麻治(ウマシマチ)が
守山の庄内川を挟んだ対岸に祀られているのだ。
ちなみにオシホミミの諡は「箱根神」というが、
すでに列島の広域を移動していた縄文人が、
そうした地形を認識していたことが、
この夫婦の諡に反映されたものと思われる。
二人とその斎名に関する記述が
『ホツマツタヱ』(天の巻13 ワカヒコイセスズカノアヤ)にある。

「      ススカノカミト ※ススカノカミ=タクハタチチヒメ
 ハコネカミ ムカフイモヲセ 
   ※ハコネカミ=オシホミミ ムカフイモヲセ=向かい合う妹背(夫婦)
 ホシオサル ススカノヲシヱ ※ホシオサル=欲を離れ ススカ=清らか
 ヲヲイナルカナ      」※ヲヲイナル=偉大なる教え

『ホツマツタヱ』にはタクハタチチヒメ(鈴鹿の神)と
オシホミミ(箱根神)の夫婦が向かい合っていることが記述されているが、
本来この二柱を祀っていたと思われるのが、
鈴鹿峠(亀山市)にある式内社
鈴鹿明神(現・片山神社:祭神・倭姫命/旧祭神・鈴鹿姫)と
国幣小社だった箱根神社(祭神:瓊瓊杵尊=ヲシホミミの御子神)だ。
片山神社の現在の祭神倭姫命(ヤマトヒメ)は
瓊瓊杵尊(ニニギ)の親神天照坐皇大御神(天照大御神)を
皇大神宮(神宮内宮)に祀った人物であり、その内宮の相殿に
タクハタチチヒメは
万幡豊秋津姫命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)の名で祀られている。
ちなみに現在の両神社の本殿の向きをチェックしてみたところ、
片山神社は箱根より南側の伊豆半島を向いており、
これは名古屋市内の(写真中)の方向に位置している
片山神社とまったく同じ向きであり、
「片山神社」のフォーマットになっているのかもしれない。
一方、現在の箱根神社の本殿は
南の芦ノ湖中にある平和の鳥居を向いている。
ただし、ヲシホミミは世を辞むに際に
現在の箱根神社の場所に祀られたのではなく、
箱根峠のヰツヲハシリの洞に隠れたとされており、
その洞の向きが西向きなのかもしれない。
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