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2018年05月22日20:35

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線の引き処

僕の両親の状態について、この日記で逐一報告するようなことはしていないが、概して言えば、少し前から両親の死への過程に立ち会っている、という感がある。死はこときれるその一瞬を言うのではなく、それはまわりの人々と共有される何がしかの過程なのだろうと思う。

ドクターからは「この先、私ができることは治療ではありません。延命処置です。何処までそれをやるか、ご家族でよく話し合ってください」と言われた。が、それについては父(の意識はしっかりしている)とつれあいと僕とですでに合意済みだ。人工呼吸器は要らない。経管栄養も要らない。もしそうした措置がどうしても必要になった場合は、それを拒否して自然に委ねる。容態が急変した時に救急車を呼ぶといやおうなしに呼吸器を付けられてしまう(と、義母の時の経験で知ったとつれあいは言う)ので、救急車は呼ばず、いつも来てくださっている訪問看護センターへ連絡する、などなど。

先日の記事(*)で《呼吸装置(レスピレーター)の太きチューブが抜き取られ夫は死へと解放さるる》(四屋うめ)という歌について書いた時、実はそんなことをも思っていたのだった。

(*)http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1966264972&owner_id=20556102

先月の下旬の頃、母の状態がかなり落ちて、あるいはこれまでかと覚悟したのだったが、持ち直した。その時に力になったのが痰の吸引器である。それを使うことによって、痰がつまって窒息したり肺炎になったり全く飲食ができなくなったり、というようなことはとりあえず遠ざけることができる。

が、考えてみればこの吸引器も人工呼吸器や経管栄養の同類とも言える。もしこのような機器がなくて自然に委ねていたら、すでに母はなくなっていたかも知れない。それなら自然に委ねればいいではないかとも思うところ、痰がつかえているのは何とも苦しそうで、この機器を使えば当面その苦しさは除けると思うと(吸引する時にも苦しがるのだが)、やはり使った方がよかろうと思う。このへんの線の引き処が、西欧近代の医学との付き合い方が問われるポイントなのだろうと思う。

3年前の7月、入院手術を終えて退院してきた母は、経管栄養に頼る状態だった。その時もドクターを交えて家族で話をして、経管栄養に頼らずに自力で飲んだり食べたりすることができなかったら、それが自然過程の死というふうに受け容れよう、と決めたのだったが、その後母は飲んだり食べたりできるようになったのだった。

つい先日、かつてある研究会で付き合いのあったK氏が昨年6月末頃に突然なくなった、と知った。ある一件でいさかいがあって、その後つきあいがなくなってしまったお方だった。自宅で灯りもテレビもついたまま倒れているのを10日後ぐらいに発見されたのだという。そう言えばK氏は、その研究会で「死」がなんたらかんたらというテーマの話になった時に、「僕にとっての自らの『死』とは“読み書きの突然の停止”というイメージです」と語っていたのだった。そのイメージ通りの最期だったのではないかと思う。

ただし、これをもって良い死に方だなどと言おうとすると、僕の義父は良い死に方だったと思うとかつて思わず言ってしまった時に、「あなたは人の死に方に良い悪いがあると思っているのか!」と今はなきNさんに詰問された記憶がよみがえってきてしまう。死ぬって、むずかしいんだなあ…


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