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2017年11月14日23:43

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昇仙峡という命名、甲府の町なかの風景

山梨県の生涯学習推進センターの講座「甲斐の古道を行く」を担当しました。
全4回シリーズの3回目で、「昇仙峡の発見と甲府の町の風景」というサブタイトルを付けました。
まず、「昇仙峡」という名称がいつ頃生まれて、いつ頃広まったかの考察。
 江戸時代には「千ヶ滝」とも表記されたが、乙骨耐軒が漢詩を作る際に「仙娥滝」と表した。
 明治14年ごろ、仙娥滝手前に橋を架け「昇仙橋」と名付けた。
 それが渓谷の名にも転用され「昇仙峡」が生まれた。
 大正12年、国の史跡に指定された時「御嶽昇仙峡」とされた。
 昭和2年、毎日新聞が全国の名勝への投票を募った時「昇仙峡」が定着した。
そして、幕末から昭和初期まで、いくつかの絵を提示した。
後半では、甲府の町なかを描いた、「甲州道中記」(国会図書館所蔵の写本)や、浮世絵の中の絵馬に描かれた三の堀などを用いて、江戸時代の様子を示した。
県庁新館の一階で話し、県内5カ所に中継された。


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