大丈夫か文学の言葉 斎藤 寛
渡辺幸一「憲法・沖縄・スコットランドそして短歌」（「短歌往来」２０１７．５）は、英国の地より現在の日本の政治状況やメディアの状況を憂い、警鐘を鳴らす論稿である。その論旨のおおかたは歌人のみならず日本の市民一般向けに書かれたもののようにも思われ、「短歌往来」ではなく例えば「世界」に掲載されていてもよさそうな文章であった。
しかし、「憲法を武器に」という小見出しが付された最終節は、「歌人として何かをしなければならないという思いが私にはある」「人権を軽視し、平和的規範を踏みにじる安倍政権に対し、日本の歌人たちが連帯して異議を唱えるのは意味のあることだ」というように、渡辺と読者のポジションを「歌人」に限定してものされているように読める。そのような場で「拠って立つ共通の基盤は日本国憲法以外にないのではなかろうか」と書く渡辺の筆法に、筆者はいささか違和感を抱いた。
日本国憲法についての渡辺の価値判断は、その最深の水位までをも汲み取ったとしても、政治の言葉の水準に属する。言うまでもなく、日本国憲法については渡辺とは異なる見解も種々あり得るだろう。そこから先は政治の論議の領域である。そのいったい何処に「歌人」という文学表現にかかわる者としての人間の固有の場所があるのだろうか。「憲法を武器に」と言われて、こんな文脈で「武器」などという言葉をためらわずに使ってよいのだろうか、と立ち止まって考え込んでしまうあたりからが文学の言葉の出番というものであろう。このようなかたちで文学の言葉は政治の言葉にやられてしまっている、ということ自体が憂うべき状況の一端を示しているのではないだろうか、とも思ったのだった。
そうかと思えば、季刊短歌紙「梧葉」５３号（２０１７．４）は「平成生まれの歌人たち」という特集を組み、角川「短歌」２０１７年５月号は「平成短歌の考察」という大特集を組んでいる。後者の発売日の同誌のツイッターには「改元が噂される中、どこよりもはやく『平成』を振り返ります」と記されていた。こうした短歌メディアの編集者の発想には、元号による時代区分は短歌について考察するうえで有意味な区分である、という前提があるのだろうと推察される。そう言えば永井祐もつとに「短歌の世界に流通している『人間』は『昭和の人間』であるように思う」として、唐突に「昭和」というタームを持ち出していたのだった、と思い出す（角川「短歌」２０１５．８、歌壇時評欄）。
この商店街は昭和の香りがするねえ、三丁目の夕日だねえ、などとお喋りをしている分には人畜無害だが、そうしたいわば印象語としての「昭和」はあくまでもその域に留めておくべきものだろう。「昭和の人間」というタームを本気で立てるなら、それは１９２６年より１９８９年までの人間全般を指す語だ。永井がその射程を見通していたとは思われない。言葉を扱う者はこうしたことにもっと厳格に対するべきだろう。
「昭和の人間」と言い「平成短歌」と言うとき、そこには暗黙のうちにひとつの前提が存在している。それは、明治以降、天皇はその在位する期間の基本的な時代の様相を決定する権能を有する、という前提である。この前提は天皇ないし天皇制に対するあるひとつの政治的な態度の表明にほかならない。その意味で、ここでも文学について語るべき場面は政治の言葉にやられてしまっているのだ。当事者たちがそれに気づいていないとすれば、事態はいっそう深刻であると言わなければならない。大丈夫か文学の言葉、と言いたくなるのは筆者だけではないだろう。
（「短歌人」２０１７．８ 「８月時評」より転載）
【最近の日記】
８月号「短歌人」掲載歌
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961771368&owner_id=20556102
窪田政男歌集『汀の時』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961754932&owner_id=20556102
「萬鐡五郎展」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961702668&owner_id=20556102
ログインしてコメントを確認・投稿する