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2017年07月10日07:34

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伊能忠敬氏

伊能忠敬氏

欧米列国が植民地拡大を争っていた江戸末期、鎖国令で文明に後れを取っていた日本が植民地化されなかった理由について、いろいろな説があります。
四方が海に囲まれていて武器だけでなく、あらゆるものを運び込むのが大変だったからとか、あまりにちっぽけな国なので、労力をかけてゲットしてもねェというのもあります。確かに!

説の中に「高精度の地図」が日本を救ったという説があります。
この地図を作ったのは元は酒造元の商人であった伊能忠敬氏です。
49歳で隠居してから本格的に測量の勉強を始め、55歳から10回に分けて全国測量にでかけています。
歩いた総距離は35000キロ、つまりほぼ地球一周分を2本の足と草鞋だけで歩いたのです。
忠敬は73歳で亡くなるのですが、その3年後の1821年7月10日の今日、引き継いだ弟子たちの努力で「大日本沿海興地全図」が完成します。
この地図の驚くべき精度を確認したのは、その32年後に黒船でやってきたぺリー提督です。
幕府と交渉する間に、当時の最先端の三角点測量法を使って江戸湾周辺を3隻の船を使ってせっせと測量を始めます。いざ戦争となった場合に備えて地形を把握するためです。
測量結果が出来てくるに従い、提督はあることに気付きます。
既に手に入れていた地図(忠敬氏が作ったもの)と全くと言えるほど同じであることを。
精度ある地図を作るには数学や天文学、そして測量の高い技術が必要です。
それらの技術を持ち合わせているのは、当時世界で数か国だけとされていました。
32年前に、忠敬氏が日本で確立させていたのです。
提督は無駄な測量を中止します。そして戦さで植民地化するよりも通商面での交渉に力を入れることになります。

今日のカットは、伊能忠敬氏の出身地である千葉県香取市の佐原公園にある銅像がモチーフです。
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