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2017年06月22日23:05

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浮世絵講座6月

笛吹市の浮世絵講座(6月)で話してきました。
今回は、「武田家に関する浮世絵 〜勘助・勝頼・北条夫人〜」という題で、
山本勘助を描いた浮世絵や草双紙を並べた。その中には、片目がつぶれていたり、白目だけだったりする描写はあるが、眼帯をしているものは一つもない。
石川の調査した限りでは、最初に眼帯をしたのは、2007年の大河ドラマ「風林火山」であって、明治にも大正にも昭和にも、眼帯は登場しない。ところが、大河ドラマ以降の、キャラクターや漫画や挿絵等の勘助は8割がた眼帯をしているのだ。
それはともかく、勘助が江戸時代に人気があった理由なども述べた。

そして、菊姫をモデルにしたという「本朝廿四孝」の八重垣姫の浮世絵(菊模様の衣装を着て、諏訪法性の兜を手に空を飛んでいる)。実際には信玄の娘である菊姫と、謙信の養子である景勝が結婚するのだが、浄瑠璃では、信玄の息子の勝頼と謙信の娘(実在しない)の八重垣姫のカップルに書き換えられているのだ。
勝頼が、天正八年に膳城を攻める絵も。この城は上杉景虎の支配下にあり(景勝と景虎は跡目争いをしていた)、勝頼は妹の嫁ぎ先の景勝を援護する戦をしていたのだ。
そして、天正十年に勝頼は天目山で滅びる。その前後の三枚組を3セット持参した。一つは、まだ戦う前で、信勝が大将の位置に、その前に勝頼がいる。そして、多くの雑兵が炊飯をしたり、握り飯を配っているといった、戦の裏側を描いたもの。他には勝頼に多くの矢が刺さっている絵と、自害直前の絵だ。

さらに、北条夫人を描いた浮世絵を示しつつ、彼女が明治時代に高く評価されたのは、嫁ぎ先の夫に従ったことによる、とまとめてみた。



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