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2016年08月31日09:40

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美濃路44 長岡庄大須郷から遷座

7月中旬 晴れ
橘 日置神社に寄った日、大須 北野神社に向かった。
北野神社は大須観音(北野山真福寺寶生院)の本堂の裏面(北側)の街角に存在する。

フォト

ここに北野神社があるのは偶然ではない。
大須観音が長岡庄大須郷(現・岐阜県羽島市大須)に存在していた時代には
大須観音は北野天満宮の神宮寺だったのだ。
現在の大須観音境内に掲示されている『大須観音略縁起』には
元享四年(1324)に後醍醐天皇が長岡庄に造営し、
天皇が帰依していた能信上人(のうしんしょうにん)を別当職に補し、
「北野山真福寺寶生院」という寺号を与えたとある。
北野山真福寺寶生院は観世音菩薩を本尊とし、大須郷にあったことから、
「大須観音」と呼ばれた。
つまり、徳川家康が寶生院を現在地に移させた時、
北野天満宮も一緒に移ってきたのだ。
現在の長岡庄大須郷に北野天満宮は存在しないが、寶生院真福寺は存在している。

初めて大須 北野神社にやってきたのは、
ミク友のAKKIYさん、岐神さんとオフ会をすることになり、
岐神さんの運営するホテルで集合し、岐神さんの案内で、
お勧めのラーメン屋に向かっている途中だった。
参拝が目的ではなかったし、すでに陽が落ちていたので、
この時は社頭をちょっと覗いただけだった。
この日は呑み会だったので、地下鉄でやって来ており、
この北野神社のすぐ南に大須観音があることには、まったく気付いていなかった。
二度目にやって来た時も大須観音経由でなく、日置神社経由で、
東側の路地からやってきたので、社内に入るまで、
オフ会の時に覗いた神社だとはまったく気付いていなかった。
同じ場所でも、電車でやって来るのと、バイクでやって来るのとでは
まるで異なった場所になってしまうのだ。
北野神社は住宅や店舗のひしめく街角に玉垣で囲われた社地に
東向きの社頭を持っていた。

フォト

石造の八幡鳥居が社地の北側に配置され、
南部には朱地に「正一位稲荷大神」と白抜きされた複数の幟と
複数の朱の鳥居が立ち並んでいる。
東側から見ると、手水舍の銅板葺切り妻屋根が大きな要素になっている。
石鳥居に掛けられた注連縄の紙垂と
鳥居の先の白地に梅鉢を墨染めした神前幕が風に煽られている。
社頭の向かい側は建物のない駐車場で、
社地の北側のビル以外は周囲が開放されており、
一面だけが遮られていることから、逆に風が吹き抜け易い環境にあるようだ。
向かい側の駐車場前に愛車を停めて、社頭に立つと、社頭額には「北野神社」、
右奥には「村社 北野神社」と刻まれた社号標があった(写真左)。
参道は吹きっぱなしの拝殿内まで延びているが、それでも5mくらいしかなく、
参道の両側は砂利が敷きつめられている。
石鳥居をくぐると拝殿の奥には
吹きっぱなしの渡り殿と本殿覆い屋を兼ねたような屋根が延びていて、
奥内の最奥に銅板葺流れ造の本殿が奉られていた(写真中)。
拝殿と渡り殿の間の瑞垣には観音開きの素木の扉が着いていて、
扉には梅鉢紋がくり抜かれている(写真右)。

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