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2016年08月30日08:13

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美濃路43 草薙レイライン

大須観音(北野山真福寺寶生院)には
境内に大きな案内書『大須観音略縁起』が掲示されている。
『略縁起』をさらに要約すると、以下のようなことになる。

「当寺は能信上人(のうしんしょうにん)による元享四年(1324)の開設にあたり、伊勢神宮に100日間こもり、衆生を救うために、どんな仏を奉ればよいのか祈ったところ、観世音菩薩を奉るようお告げを得、観世音菩薩の姿を拝した。その姿は昔、弘法大師が彫像した摂州(現・大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)四天王寺の観世音菩薩そのものだった。この話は後に能信上人に帰依した後村上天皇の知ることとなり、四天王寺の観世音菩薩は、当寺に移された。この観世音菩薩の霊験は海内に響きわたり、当寺は繁栄し、伊勢・美濃・尾張・三河・遠江・信濃六カ国の真言宗寺院を末寺とするに至った。戦国の世には織田信長から寄進を受け、徳川家康は名古屋を建設するにあたり、慶長十七年(1612)、最初に寶生院を現在地に移させた。霊験は参拝者を呼び、市の一大中心地として繁栄し〈大須観音〉と呼ばれ真言宗チザン派別格本山として今日に至った。」

「北野山真福寺寶生院」という寺号は
能信上人に帰依した後醍醐天皇に賜ったものだ。
通称になっている「大須(観音)」は
寶生院(ほうじょういん)のあった
尾張国長岡庄大須郷(現・岐阜県羽島市大須)に由来するのだろうが、

フォト

正式名に含まれない「大須(観音)」が名古屋で通称化したということは、
すでに長岡庄時代から「大須観音」で知られていたものと思われるが、
「大須郷」という地名に関する由来は語られていない。
現在の羽島市大須は長良川の両岸にまたがり、
木曽川からは600mほど離れているが、両河川は動いているとみられ、
長岡庄大須郷は両河川に挟まれた広大な三角州だったと思われ、
「大須」は「大きな(三角)州」の意味である可能性があるとするのが
一般的な見方だ。
そして、木曽川は砂鉄が採掘された場所だ。
『東海の鉄文化を探る』(天野武弘)によれば、
木曽川水郷地帯は鉄仏が集中していることで知られているという。
鉄仏は全国に約50体あり、うち10体が濃尾地方に集中しているが、
いずれも13世紀〜16世紀に造られている。
平安末期までの鋳物師は鍋、釜、鋤、鍬の製品から原料の鉄まで所持して、
広い範囲で交易する鉄器物の商人であったとされる。
そして、原料鉄を集めたのは流域の農民だという。
井塚政義は『和鉄の文化』の中で
製鉄と鋳造も農民が行なっていた可能性を示唆しているが、
もしそうなら、まっ先に
鍬や鋤など鉄製であることに利のある農具を製造しただろう。
そして、鉄製でなければならないものが刃物だ。
刃物の中で農具といえば鎌ということになる

鎌=草を薙ぐ農具(稲を刈り取る農具)=草薙剣

大碓OOUSU 鎌
  OO SU 大須〜金山(鎌塚)〜熱田神宮(草薙剣)=レイライン
小碓 OUSU 草薙剣

スサノオは荒ぶる男なのに、手に入れた天叢雲剣(草薙剣)を
自分で一度も使用しないで農耕神アマテラスに献上してしまった。
日本武尊も草薙剣を戦闘に一度も使用していないし、
戦闘に向かうのに携帯しなかった。
その実体は戦闘の役に立たない農具だったからではないのか。
大須郷にとって重要な草を薙ぐ農具は
大碓命を祀った三河三宮猿投神社(さなげじんじゃ)に奉納され、
大須〜金山〜熱田神宮レイラインの2ヶ所に鎌塚(&片葉塚)が設けられた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954959274&owner_id=350761

ほかにも『古事記』では小碓命につかみつぶされたはずの大碓命は
『日本書紀』では以下の記述があり、

「大碓皇子は草むらに逃げ隠れたため、使者をして召還させられ、天皇から責められたのち、美濃国(長岡庄大須郷は当初、美濃国に所属していた)に封じられた。」

猿投神社社伝では美濃地方の開拓に尽くしたとされている。
そして、猿投神社の背後に聳える猿投山には皇室の管理する大碓命墓が存在する。
さらに、鉄器に関る大碓・小碓兄弟の母親の名は稲日稚郎姫であり、
農耕民族との関わりが強いのだ。

『尾張名所図会 巻之一』(図版左)にある大須観音図では
本堂と仁王門の位置関係が異なり、五重塔が見え、
右奥に那古野山古墳が描き込まれている。
http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=2225954972&owner_id=350761

五重塔は明治25年(1892)の大須の大火で本堂、仁王門とともに焼失している。
その後再建され、1945年(昭和20年3月12日の名古屋大空襲で焼失した本堂が
下の写真だ。

フォト

現在の本堂は鉄筋造三層の建物で、
石段で直接2階の拝所に上がるようになっている(写真中)。
向拝屋根下には七寺(ななつでら)と同じく大提灯が下がっている(写真右)。
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