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2016年08月22日21:46

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信玄・勝頼と女性たち

山梨文化学園の講演会を担当した。写真は本日(8月22日)の山梨日日新聞。
「甲斐の戦国時代」というシリーズの一回分。タイトルは「武田信玄・勝頼と女性たち」だ。
内容は主催者のオファーだが、何しろ歴史家ではないので、物語の中の女性たち、といった話になる。
信玄の母、信玄の妻(主に三人)、信玄の娘(主に五人)、勝頼の妻といったあたりを取上げた。
信玄の娘のうち最も有名なのは松姫。幼い時に織田信忠と婚約したが、一度も逢わないうちに敵味方となる。勝頼は信長・信忠親子に滅ぼされるが、すぐに信忠も本能寺で亡くなり、松姫は八王子で尼になって暮らしたという。今年は松姫が亡くなってちょうど400年。甲府では何も催しはなかったが、八王子では行列が行われるなど盛大に400年祭が催された。「まっぴー」というキャラクターまでつくられている。そして彼女を主人公とした物語は、井上靖を始め、少女向けのものや漫画を含めると十指にあまる。けっこうな人気なのだ。
妹の菊姫はかつて敵だった上杉家に嫁ぎ、豊臣・徳川の人質として京で過ごした。こちらもいくつかの物語が記されている。また、浄瑠璃、歌舞伎で今でもよく演じられる「本朝二十四孝」の八重垣姫のモデルとも言われている(本朝二十四孝では、勝頼と上杉の娘の恋物語であり、男女を入れ替えている)。八重垣姫の着物が菊模様という浮世絵もある。

そして、勝頼と最期を共にした北条家から嫁いできた夫人。
江戸時代には、彼女の書いた願文(武田八幡所蔵)や、勝頼滅亡の様子を記した「理慶尼記」が人々の涙を誘った。真贋論争を紹介し、理慶尼記に収録された和歌を解釈した。
明治時代には、「貞節」な女性として称揚された。勝頼が滅びる間際に、相模(北条家)に帰るよう勧めたのに、夫とともに死ぬことを選んだ心根が高く評価されているのである。
浮世絵の「古今名婦鏡」(写真)や、銅板絵本の「名婦百首」(明治15年)に取り上げられたのも、この「貞節」の観点から。
というような話をしました。



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